9章1〜25節


9:1 ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。「「キシュはアビエルの子、順次さかのぼって、ツェロルの子、ベコラテの子、アフィアハの子。アフィアハは裕福なベニヤミン人であった。「「
9:2 キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。
9:3 あるとき、サウルの父キシュの雌ろばがいなくなった。そこでキシュは、息子サウルに言った。「若い者をひとり連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」
9:4 そこで、彼らはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、見つからなかった。さらに彼らはシャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いたが、見つからなかった。
9:5 彼らがツフの地に来たとき、サウルは連れの若い者に言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのことを心配するといけないから。」
9:6 すると、彼は言った。「待ってください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへまいりましょう。たぶん、私たちの行くべき道を教えてくれるでしょう。」
9:7 サウルは若い者に言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、その神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」
9:8 その若い者はまたサウルに答えて言った。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。私がこれを神の人に差し上げて、私たちの行く道を教えてもらいましょう。」
9:9 「「昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は、「さあ、予見者のところへ行こう。」と言った。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。「「
9:10 するとサウルは若い者に言った。「それはいい。さあ、行こう。」こうして、ふたりは神の人のいる町へ出かけた。
9:11 彼らはその町の坂道を上って行った。水を汲みに出て来た娘たちに出会って、「ここに予見者がおられますか。」と尋ねた。
9:12 すると、娘たちは答えて言った。「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。きょう、あの高き所で民のためにいけにえをささげますから。
9:13 町におはいりになると、すぐ、あの方にお会いできるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来て、いけにえを祝福されるまでは食事をしません。祝福のあとで招かれた者たちが食事をすることになっています。今、上ってください。すぐ、あの方に会えるでしょう。」
9:14 彼らが町へ上って行って、町の中央にさしかかったとき、ちょうどサムエルは、高き所に上ろうとして彼らに向かって出て来た。
9:15 主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。
9:16 「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。」
9:17 サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。「ここに、わたしがあなたに話した者がいる。この者がわたしの民を支配するのだ。」
9:18 サウルは、門の中でサムエルに近づいたとき、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」
9:19 サムエルはサウルに答えて言った。「私がその予見者です。この先のあの高き所に上りなさい。きょう、あなたがたは私といっしょに食事をすることになっています。あしたの朝、私があなたをお送りしましょう。あなたの心にあることを全部、明かしましょう。
9:20 三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないように。あれは見つかっています。イスラエルのすべてが望んでいるものは、だれのものでしょう。それはあなたのもの、あなたの父の全家のものではありませんか。」
9:21 サウルは答えて言った。「私はイスラエルの部族のうちの最も小さいベニヤミン人ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないものではありませんか。どうしてあなたはこのようなことを私に言われるのですか。」
9:22 しかし、サムエルはサウルとその若い者を広間に連れてはいり、三十人ほどの招かれた者の上座に彼らを着かせた。
9:23 サムエルが料理人に、「取っておくようにと言って渡しておいた分を下さい。」と言うと、
9:24 料理人は、ももとその上の部分とを取り出し、それをサウルの前に置いた。そこでサムエルは言った。「あなたの前に置かれたのは取っておいたものです。お食べなさい。私が客を招いたからと民に言って、この時のため、あなたに取っておいたのです。」その日、サウルはサムエルといっしょに食事をした。
9:25 それから彼らは高き所から町に下って来た。サムエルはサウルと屋上で話をした。


「ろば探し」    サムエル記第一 9章1〜25節


【今までのあらすじ】


長い間、イスラエルを治めてきたサムエルが年老いて、またその息子達も父親のように神を求める歩みをしなかったので、イスラエルの民達から、わが国も他国同様に王を立てて欲しいを切望され、サムエルにとっては「気に入らない要求」であったが、神に進言し、これが許された。

そして、最初の王が立てられる過程が今日の学びです。


【1〜10節】

最初の王サウルがどんな人物であったかが、記されています。

(1)            ベニヤミン族で裕福な家庭に生まれ、

(2)            外見的に格好良く、

(3)            親子関係も良く、

(4)            常識的わきまえも備え、 人間的に言うことなしといえる人でした。

サウルを選ばれたのは神であり、その理由は神の目に適っていたからです。しかし、やがてサウルは退きます。
「16章7節:人はうわべを見るが、主は心を見る・・・」

人間的に良い条件を備えていることと、神に仕えることとは違います。人間的には何も良いところがないから、純粋に神を頼ります。誇るものがあると妨げになります。かたや、良い条件を備えていると信仰できないかというとそうでもなく、パウロが良い例で、神の前にどうであるかによって、自分の罪深さ、自分が弱い者であるということがわかり、自身のちっぽけさが浮き彫りにされます。罪(むさぼり)に・・・、また具体的に取り除かれたいと願っている刺も、神を求める手段となりました。神の光に照らされて、価値基準が変わり、罪が明らかになって、神を切望したのです。人は外見だけでは信仰のあるなしは判断できません。

サウルは父のいなくなった「雌ろば探し」に行ったとき、サムエルと出会います。日常生活の何気ない行動の中で、またなんて単調な(面倒な)と思える行動の中にも、神のご計画が成っていくことがあります。

教会の奉仕(お掃除)もそうです。神を礼拝に来て、きれいにお掃除が行き届き、随所に飾られたお花を見て、心慰められる人もいるかもしれません。日曜日の午後、皆で一斉にお掃除デーなどというのがあると、教会に対する愛着度も増すかもしれませんね。

さて、さがしものの雌ろばがみつからないので諦めて帰ろうとしたとき、「ちょっと待って」と進言した同行の若い者の一言、これは大きいと思います。

やるだけやったのだからと、半ば諦めかけている人に、「ちょっと待って」と言える役割は大きいと思います。主によって残された道がもうひとつあるよと提案できる存在でありたいものです。

神の忍耐を我が事として経験した人からの助言は重厚です。

【11〜24節】

行く道を教えてくれる(さがしものを見つけてくれる)予見者サムエルに会いに出かけます。町娘に教えられた道を行き、サウルはサムエルに出会いました。サムエルは今日サウルが来ることを知っていました。前日に神様から「私の民を支配するものが来る」と告げられていたのです。

サムエルに出会い、最上の食事の用意のあることや、雌ろばも見つかっていることを告げられ、また、「イスラエルの民が望んでいる王はあなたですよ」と告げられたサウルは、戸惑いや謙遜で一旦は断りますが、早サムエルはサウルを広間の一同に紹介してしまいます。

雌ろば探しから、全ては神様のご計画だったのです。神様の視点からすると、無駄なことは一切ありません。どんな小さなことでも、たいしたことではないと思えるようなことも神様にとっては意味があり、繋がりがあります。時間がかかり、無駄な積み重ねと思えるようなことも、神様のご計画は着々と進められているのです。

皆さんにとっての雌ろば探しは何でしょうか?

第一テモテ4章4節に「神がつくられた物はみな良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何一つありません。」とあり、何でも受けていくとき、無駄なことは何もないのだということを経験することと思います。

【質問】

@ あなたにとっての「ろば探し」は何でしょうか?

A  神様の前における自分よりも、気にしている外側のことは何でしょうか?

B 「ちょっと待って」、「諦めるのはまだ早いよ」と声をかけるべき人は誰でしょうか?









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