14章24節〜52節
14:24 その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。」と言い、民はだれも食物を味見もしなかったからである。 14:25 この地はどこでも、森にはいって行くと、地面に蜜があった。 14:26 民が森に入ると、蜜がしたたっていたが、だれもそれを手につけて口に入れる者はなかった。民は誓いを恐れていたからである。 14:27 ヨナタンは、父が民に誓わせていることを聞いていなかった。それで手にあった杖の先を伸ばして、それを蜜蜂の巣に浸し、それを手につけて口に入れた。すると彼の目が輝いた。 14:28 そのとき、民のひとりが告げて言った。「あなたの父上は、民に堅く誓わせて、きょう、食物を食べる者はのろわれる、とおっしゃいました 。それで民は疲れているのです。」 14:29 ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ご覧。私の目はこんなに輝いている。この蜜を少し味見しただけで。 14:30 もしも、きょう、民が見つけた、敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を打ち殺していたであろうに。」 14:31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を打った。それで民は非常に疲れていた。 14:32 そこで民は分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場でほふった。民は血のままで、それを食べた。 14:33 すると、「民が血のままで食べて、主に罪を犯しています。」と言って、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「あなたがたは裏切った。今ここに大きな石をころがして来なさい。」 14:34 サウルはまた言った。「民の中に散って行って、彼らに言いなさい。『めいめい自分の牛か羊かを私のところに連れて来て、ここでそれをほふって食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」そこで民はみな、その夜、それぞれ自分の牛を連れて来て、そこでほふった。 14:35 サウルは主のために祭壇を築いた。これは彼が主のために築いた最初の祭壇であった。 14:36 サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らをかすめ奪い、ひとりも残しておくまい。」すると民は言った。「あなたのお気に召すことを、何でもしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」 14:37 それでサウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。あなたは彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日は何の答えもなかった。 14:38 そこでサウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに寄って来なさい。きょう、どうしてこのような罪が起こったかを確かめてみなさい。 14:39 まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。たとい、それが私の子ヨナタンであっても、彼は必ず死ななければならない。」しかし民のうちだれもこれに答える者はいなかった。 14:40 サウルはすべてのイスラエル人に言った。「あなたがたは、こちら側にいなさい。私と、私の子ヨナタンは、あちら側にいよう。」民はサウルに言った。「あなたのお気に召すようにしてください。」 14:41 そこでサウルはイスラエルの神、主に、「みこころをお示しください。」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民ははずれた。 14:42 それでサウルは言った。「私か、私の子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。 14:43 サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に告げなさい。」そこでヨナタンは彼に告げて言った。「私は手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を、確かに味見しましたが。ああ、私は死ななければなりません。」 14:44 サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン。おまえは必ず死ななければならない。」 14:45 すると民はサウルに言った。「このような大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはありません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。神が共におられたので、あの方は、きょう、これをなさったのです。」こうして民はヨナタンを救ったので、ヨナタンは死ななかった。 14:46 こうして、サウルはペリシテ人を追うのをやめて引き揚げ、ペリシテ人は自分たちの所へ帰って行った。 14:47 サウルは、イスラエルの王位を取ってから、周囲のすべての敵と戦った。すなわち、モアブ、アモン人、エドム、ツォバの王たち、ペリシテ人と戦い、どこに行っても彼らを懲らしめた。 14:48 彼は勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した。 14:49 さて、サウルの息子は、ヨナタン、イシュビ、マルキ・シュア、ふたりの娘の名は、姉がメラブ、妹がミカルであった。 14:50 サウルの妻の名はアヒノアムで、アヒマアツの娘であった。将軍の名はアブネルでサウルのおじネルの子であった。 14:51 サウルの父キシュとアブネルの父ネルとは、アビエルの子であった。 14:52 サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけると、その者をみな、召しかかえた。 |
「誤った熱心」
サムエル記14章24〜52節
その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。」と言い、民は誰も食物を味見もしなかったからである。
いままでのあらすじ
サウルの息子ヨナタンが道具持ちの若者と一緒にその信仰による勝利を信じて出て行った戦いに、主が一方的に勝利を与えてくださったところを学びました。
今日はサウルが、ペリシテ人との戦いのなお一層の勝利を願って、民達に断食を強要します。この地は、聖書に何度も出てくる乳と蜜(みつばち)の豊かに流れる土地であり、森に入れば誰でもすぐそれを口にすることができたのですが・・・この戦いに完全に勝利するまでは食べるなと命じたのです。これもサウルの「信仰的な熱心」によるパフォーマンスのように思われます。
そうすることにより力を得るのならいいですが、かえって空腹と戦う力を喪失する出来事となります。
しかし、息子のヨナタンは父サウルの誓い(断食)を聞いていなかったので、その蜜を口にし、ちょっと味見程度に食べただけなのにたちまち元気になりました。
断食・・・聖書の中で、特に祈りに集中するときの行為として何度も出てきますが、目的と手段を間違うと、熱心にやっている信仰的な行為と思い込みやすい危険性があります。イエス様もマタイ9章14節で、「今喜んでいるときに断食することもないだろうと警告を与え、預言者イザヤもイザヤ58章3節で、形だけの断食を否んでいます。
この場合のサウルの断食は敬虔さや、信仰も熱心さを神様や人に見せようとするためだけの行為で、少なくとも民達からの自発的な行為ではありません。
私たちも、一見神様のためだと思ってやっていることも、詩篇51篇16節のように、神のために頑張ってやっても、神は喜ばれないよ、と言われることがあります。神が願っておられることとのちぐはぐさを感じることが時々あります。
この時の断食の行為は、神の望んでおられることではなかったようです。
31節〜
空腹のあまり、当時禁じられていた血のままで動物を食べてはいけないという行為を民達がやってしまいます。ただ押さえつけられてやらされている行為は、他のところでもっと大きな過ち「罪」を犯してしまいやすいものです。サウルの一見熱心な命令が誤った結果となりました。
36節〜
「神の前にでましょう」神様に聞いていく・・・これは大切な提案です。しかし、神様からの答えがすぐにいただけないときに、それを待つ間の神との交わりが大切なのです。
私たちは、すぐに答えをほしがりますが、サウルもそうでした。サウルの誓いを誰が破ったのかをくじで決めることになり、ヨナタンがそれを引き当ててしまいます。
45節〜
いくらくじを引き当てたからといっても、これだけ勝利をもたらしたヨナタンが死ぬなんておかしいと、信仰的な正義の間違いを民達が指摘しています。
ここでの民達の判断は、常識的な言い分です。皮肉なことに常識というものが、信仰的熱心さまがいのことに勝つことがあります。
実際、教会の歴史を見るとき、クリスチャンでない人から、教会のずれ(間違い)を指摘されてきたことがたくさんあります。「信仰的な正義」らしきものが如何におかしいかを一般常識が指摘する。神のためといいながら、自分たちのやりたいようにやっていく、都合のいいように神の名が用いられていく、ここに怖さがあります。
47節〜
サウルは王位を得てから、ひたすら戦いに明け暮れていました。
まとめ
ローマ人への手紙10章2節にパウロの警告があります。神の知識(聖書)に根ざした熱心でなければ、かえって神の御心を損なうことになります。思い込みの信仰は絶えず捨てていき、いつも新しい知識を聖書からいただいていく・・・自分勝手な判断は、主の言葉を遮ります。
@ 今皆さんが熱くなっていることは何ですか?
A それについて、御言葉で教えられていることは何ですか?
B 誤った信仰的な熱心で人を躓かせていることはないですか?