サムエル記U 10章
「神への不信頼からくる猜疑(さいぎ)心」
1〜2節
ダビデはアモン人の王ナハシュに、かつて何かしらお世話になったことがあるようです。ダビデがサウルに追われているときにかくまってくれたのかもしれません。ダビデは、これまで王朝を整えたり近隣諸国との戦いもありなかなか余裕がありませんでしたが、感謝をあらわしたい本人がすでにいないので、せめてその子に真実を尽くそうとします。
3〜5節
ダビデはナハシュが死んでその悔やみを、ナハシュの子ハヌンに伝えるように家来を派遣しました。しかしハヌンは、その従者たちの意見もあり、彼らが偵察にきたものと断定してひげと衣を半分に切って帰しました。これはひどい侮辱であり、ダビデの家来にとって耐え難いほど恥ずかしい出来事でした。
6〜12節
ダビデとしては、ハヌンたちアモン人と戦うつもりは全くなく、むしろ感謝を表すつもりだったのに、結果的には全面戦争となります。その時の指揮官ヨアブは、主のみこころがなることを信じて、全力を尽くして戦うようイスラエルの部隊を励まします。
13〜19節
結局イスラエルが勝ち、アモン人に加担したアラムの王たちもイスラエルと和を講じます。この戦いはダビデの計画には全くなかったものですが、結果としてはこの戦いによってイスラエルの勢力圏はユーフラテス川のかなたまで及んでいくことになります。それはアブラハムに神が約束されたことの成就でもありました(創世記15:18)。
ダビデの好意をそのまま受ければ良かったのに、ハヌンたちアモン人は余計な疑いをもったために余計な争いを起こし敗北していきました。私たちが神様を信じられない時に、同じようなことが起きてきます。神様を信じ神様に任せきっていられれば安心していられるのに、神様が信じられないとあらゆることが疑いと不安になってきます。いつも主を私の前に置かないとすぐ揺れ動いてしまうのです(詩篇16:8)。神を信じるということは、生活のあらゆる領域に影響を与えます。私たちはすぐに見えるもので心を騒がせ動揺してう弱さがあります。だからこそ「神を信じなさい」(ヨハネ14:1)と主は仰るのです。
それと同時に、神様は人の猜疑心や、恩を仇で返すような行為、また肉の性質によるどうしようもない出来事さえも用いて、みこころを実現されます。ハヌンたちの疑いから来る残虐な行為さえも用いて、アブラハムに約束されたことを実現してくださったのです。悪さえも用いて着々と主のご計画を実現されるのです。最悪と思える出来事も神を信じる信仰の訓練として用いてくださるのです。いつも神を前に置いて、神を信じていきましょう。