サムエル記U 13章
「人間の情と憎しみ」
ダビデの長男アムノンは、異母兄弟である妹のタマルを好きになります(1〜2節)。
兄弟で結婚できないことで悩んでいる姿を見て、アムノンの友人(従兄弟)であるヨナダブが悪知恵を入れます(3〜5節)。
ヨナダブの助言をそのまま受け入れたアムノンは、仮病を使い、病人食をもってきたタマルを力ずくで犯してしまいます(6〜14)。
誰に相談するかは大問題です。
悩んでいる時は、普段なら冷静に考えておかしいと思えるアドバイスでも、強く勧められると受け入れてしまうことがあります。
ましてそのアドバイスが自分に都合がよいものだと尚更です。
ダビデの親友であったヨナタンは、神を恐れている人でしたので、父親のサウルがダビデの命を狙っている時も、父親のねたみが問題であることを見抜いて、ダビデを助ける助言をしました。
しかしヨナダブは、権力に対する執着があり、決してアムノンにとって良いアドバイスを与えていません。
タマルを犯して自分の欲求が満たされたアムノンは、今度はタマルを激しく憎むようになり、彼女を追い出してしまいます(15〜19節)。
人間の情は、このように不安定なものです。
いつ感情や気持ちが反対に変わるかしれないのです。
男女関係でなくても、昨日まであんなに親しかったのに、今は口もきけない敵対関係になってしまうこともあるのです。
人の情を求め、人に要求し、人にばかり向かっていく人は、いつもこの愛憎に振り回されてボロボロになっていきます。
神様を愛することを知らなければ、人やまた何かに心を向けて引きづられていくしかないのです。
タマルは、結局このことで大きな心の傷を受け、実兄アブシャロムの家でひとりわびしく暮らすことになります(20節)。
この一部始終を父親のダビデは聞いて、激しく怒ります(21節)。
しかし自分の子供たちの間に起きたことに対して、アムノンを叱ることもせず、何の対応もしませんでした。
またこのことを痛み悲しんで、神に叫ぶこともしなかったのです。
ただ感情を爆発するだけでした。
二年の月日が経ち、アブシャロムは妹タマルの復讐をします(23〜29節)。
羊の毛の刈り取りの祝いに、アムノン含む王子たちを招待し、そこでアムノンを殺害します。
ひとりわびしく暮らすタマルを毎日見ながら、アブシャロムに対する憎しみは増し続けていったのでしょう。
しかも父親が一向にアムノンに忠告をすることもしないで放置している以上、自分が復讐するしかないと思ったかもしれません。
王の息子たちが全員アブシャロムに殺されたという誤報が流れましたが、ヨナダブが事実も彼らの気持ちも分かっていますと言わんばかりに得意気にダビデ王に「殺されたのはアムノンだけであること、アブシャロムがずっとタマルのことで憎んでいたこと」などを報告します(30〜35節)。
この後アブシャロムは3年間逃亡することになり、ダビデはアムノンの死を悼み悲しみ続けます。
しかし決してアブシャロムに会いには行きませんでした(36〜39節)。
アムノンの情に始まり、アビシャロムの兄としての情、父親としてのダビデの情が複雑に絡んでいるこの13章です。
家族が互いに情で向き合っているだけでは、何の解決もなく袋小路に入ってしまいます。
ただ怒ったり泣いたり、感情だけがいつも爆発していて、何の具体的な対応もされないまま事が放置されていきます。
ダビデは父親でありながら、親としてアムノンを諌めることもせず、また信仰者としてこのことを痛んで神に祈り叫ぶこともしませんでした。
せめてアムノンとタマルの事件を聞いた時に、自分の罪として痛み神に叫び求めていたなら、何か具体的な知恵をいただけたかもしれません。
人間の情はややこしいものです。
必ずしも時間が解決してくれるとは限りません。
神の介入がなければ、私たちはいつも情と憎しみにがんじがらめになっていくしかありません。
犯人探しをしたり、人同士が向き合っていても、事態は複雑になるばかりです。
今私たちを含め、周りで起きている様々な問題に、心を痛めつつも神が介入してくださることを願って祈り叫んでいきましょう。
怒りをぶつけるのでなく、また放置するのでもなく、神に叫んでいくところから、あらゆる問題の解決が始まります。
神様からご覧になれば、まだ事態が変わらなくても、それがもうすでに解決でもあるのです。