サムエル記U 19章

「黙って主の救いを待つ時」   Uサムエル19:24〜43
      
24節

謀反を起こしたダビデの息子アブシャロムの死によって、ダビデは荒野での逃亡生活を終え、再び王宮に戻っていきます。
その途中で、今度はサウル王の孫であり、ダビデの親友であったヨナタンの子、メフィボシェテがダビデに会いにきます。
ダビデの厚意により、土地を譲り受け、王と共に食事を生涯することができるようになったメフィボシェテです(9:1〜13)。
彼はダビデ王が王宮から出て行ってから、その悲しみのため爪やひげの手入れもせずにいました。


25〜27節

ダビデが逃亡生活をしている時に、メフィボシェテのしもべ、ツイバが生活必需品をダビデのもとにもってきました。
その時に主人メフィボシェテが、ダビデのことを裏切ったかのような嘘をつき、ダビデもそれを鵜呑みにしてしまい、メフィボシェテに与えた地所を全てツイバに与えると約束してしまいました。
メフィボシェテは、ダビデに直接、それが全くの誤解であることを告げます。


28節

メフィボシェテは以前と変わらず、ダビデの厚意を感謝していることを伝えます。
本来ならダビデをねたみによって苦しめたサウル王の末裔ですから、ダビデから厚意を受ける資格などないのに、ダビデが一方的によくしてくれた恩を決して忘れていませんでした。
このメフィボシェテの姿は、神の一方的な恵みで救われた者たちが、神に感謝する姿に似ています。
私たちも自らの罪のために、神の怒りによって滅ぼされて当然だったのに、神の子キリストの尊い命の代価によって、一方的に救いの恵みにあずかることができたのです。


29〜30節

ダビデは、ツイバからの情報だけを信じて地所をツイバに全て与えると約束してしまったことを後悔したことでしょう。
歯切れ悪く、「地所を2人で半々に分けるように」と命じています。
しかしメフィボシェテは、「王が無事で王宮でまた一緒に暮らせるなら地所などなくても構わない」と答えます。
ダビデは、メフィボシェテに対して完璧な扱いはできませんでしたが、神様は私たちに最善のものを与えてくださる方です。
「主が共にいてくださればそれで十分」、「主のそばにいることこそ最も幸せなこと」と思わせてくださる方なのです(詩篇16:2、5、詩篇73:28)。


31〜40節

次にバルジライがダビデに会いに来ました。
彼もダビデの逃亡中に必需品を大量に運んでくれた人の一人です(17:27〜29)。
与えられた富をもって、生活の大変な王を養った人です。
ダビデはそのことに感謝していて、王宮に戻れるようになった今、恩返しをしたいと申し出ます。
しかしバルジライは王の申し出を辞退し、息子キムハムをダビデに託しました。
ダビデは、死の直前にもバルジライの子らに恵みを施すようにソロモンに伝えています(T列王記2:7)。


41〜43節

ダビデ王を迎えに、出遅れたイスラエルの民たちが合流しました。
ユダの人々と張り合って、王の奪い合いになります。
ユダは、ダビデ王と同族であることを主張し、イスラエルは部族の数の大きさを主張します。
一時はアブシャロムに皆がなびいて行き、ダビデは王宮からも出て行くことになりましたが、最終的にはこのようにダビデは再び民たちから歓迎されるようになります。

人生には、一時的に何もかも失ったように思えるときがあります。
歯車が狂ったように何もかもが上手くいかないように思えるときもあります。
でも主はまたそこから脱出させてくださるのです。
何かを与えられた時も、失った時も、主の御名をほめたたえていけばよいのです(ヨブ1:21〜22)。
ダビデを主が引き上げてくださったように、主はいつまでもご自身の民を放ってはおかれません。
主の救いを黙って待つのは良いことです(哀歌3:25〜33)。
主は私たちをいたずらに苦しめ悩まそうとはしておられません。
アブシャロムの謀反によって逃亡生活を余儀なくされたダビデですが、それも自分の罪の結果と受け取って、主がまた最善をなしてくださることを待ち望んでいく時に、主はちゃんとダビデをエルサレムに帰してくださいました。
主は、主を待ち望む者にいつくしみ深いのです。
事がなかなか好転していかない時にも、主の救いを黙って待ち望んでいく信仰を求めていきましょう。



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