サムエル記U 2章


一国の王を失った後

サウル王が死に、ダビデはペリシテ人の地にいる必要がなくなりました。ダビデがペリシテの地に行ったのは、もともとサウル王に命を狙われ、イスラエルの地に安住の場所がないと判断したからでした。しかしその時は、神に伺うこともなく、「ほかに道はない」と自分で判断して決めました(Tサムエル27:1)その結果、ペリシテの地では、暗闇の生活を送ることになります。その痛みも覚えていたダビデは、今度はサウルの死ということだけでは決めず、イスラエルのユダの町に上るべきかどうか主に伺っていきました(1節)。そして神はヘブロンに行くようダビデに仰いました。

丁度ヘブロンには、ダビデがアマレクの戦利品から贈り物をした直後でした(Tサムエル30:31)。ヘブロンで、ダビデはユダ(ダビデの出身)の人々から油を注がれ、公にユダの王とされます(4節)。ダビデは、すでに預言者サムエルを通して神から王としての油注ぎを受けていました。その時はサムエルと身内の中だけで行われましたが、今度は公に、またユダの人々の方から求めて、このことがなされていきました。決してダビデは、自分で王になろうとはしませんでした。むしろ王であるサウルに命を狙われても忠実でいました。神がダビデを王として選ばれたなら、必ず神がそのように実現されることを信じていたのです。

ダビデがユダで王になると、サウル王の将軍アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを王として立てました。そしてユダ家はダビデに従い、それ以外のイスラエルの人々はイシュ・ボシェテを王として従うようになり、一つの国に王が2人いるという混沌とした情勢になりました。ダビデは預言者サムエルを通して神からの油注ぎを受け、またユダの人々からも公に油注ぎを受けています。しかしイシュ・ボシェテは、どこまでも将軍アブネルの介入と人々の支持だけで立てられています。この2人の王の存在により、やがてイスラエルは北王国と南王国の分裂にまで影響をもたらしていきます。

サウル王家の将軍アブネルと、ダビデの軍団長ヨアブが、それぞれの家来同士で格闘技をすることになります。しかしそれがエスカレートして、全面戦争の様相を呈してきました(12〜17節)。アブネルは、打ち負かされると逃げていきましたが、ヨアブとその兄弟はなお追いかけていきました。特にヨアブの兄弟でかもしかのように足の速いアサエルは、とことんアブネルを追い続けました。かつてアブネルとヨアブはサウルの宮廷で一緒に働いていた同僚でもあり、アブネルとしてはヨアブの兄弟アサエルに危害を加えたくはありませんでした(22節)。何度警告してもアサエルが追いかけてくるので、アブネルはやりの(刃の方ではなく)石突でちょっとつついてアサエルを倒そうとしました。しかしアサエルが猛スピードで走っていたため、石突きさえも刺さってしまいアサエルは死んでしまいます(23節)。アブネルの呼びかけで、両者とも無意味な争いであることを認識して解散します。しかし、アサエルの命が結果的に失われました。アブネルは殺すつもりはなくても、アサエルの兄弟たちはこの恨みを抱き続けることになります。

単なる格闘技が高じて、全面戦争のようになってしまいました。そして2人の王が同じイスラエルの中に立っている事実が、心理的に争いを大きくしていきます。一人の王が亡くなった後は、国全体が不安定になります。ダビデとイシュ・ボシェテの2つの王権が成立したことで、それぞれの将軍や家来たちの間にも見えない対抗心のようなものがあったでしょう。ダビデは、サウル王から命を狙われる苦しみからようやく解放されましたが、サウルという王を中心に保たれてきた体制が崩れ、混沌とした中で30歳で王となり、また難しい局面を迎えます。ある意味で私たちの教会も2人の指導者を失い、今も混沌とした中にあります。イエス様が天に昇られてから、残された弟子たちがエルサレムで心合わせて祈りに専念していたように、祈りが必要な時です。悲しみと不安の中で弟子たちが祈り続ける中で、聖霊が降りました。そこから力が注がれ混沌とした状況が打ち破られていきました。祈り続けましょう。



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