サムエル記U 7章


神の約束

イスラエルの王となって、ヘブロンからエルサレムに移り、神の箱を運ぶという大事業も終えて、ダビデはようやく長年の放浪生活から自分の家で安心して住めるようにもなりました。でもダビデは、自分が立派な家に住んでいるのに、神の箱がテントのような天幕の中に置かれたままでいいのかと不安になりました(1〜2節)。預言者ナタンは、ダビデの思うようにしなさいと勧めますが、その夜ナタンに神は「ダビデの思いと神のみこころは違う」ことを語りました。ナタンは預言者にもかかわらず、神に十分尋ねることもなくダビデの思いを実行するように伝えました。しかし神の方で介入してそれを留められたのです。神のみこころらしく思えることさえも、私たちは神に問い続ける必要があります。神の思いと私の思いは違うのです(イザヤ55:8、詩篇92:5)。

神は出エジプトの時から、天幕におれらました(出エジプト40:34〜38)。神は一箇所に留まってはおられず、たえず働いておられる神です。今は神を信じる者たち一人一人を住まいとしておられる方です(Tコリント3:16)。ダビデは、神のための家を建てようと願いましたが、むしろ神の方でダビデのために家を建ててくださると約束してくださいます。

神は羊飼いであった少年ダビデを、あえてイスラエルの王としました(8節)。立ちはだかる敵をも、神はいつもダビデと共にいて断ち滅ぼしてくださいました(9節)。これまで神がダビデの人生を導き守ってこられたことを確認した上で、神はダビデのために家を建てることを約束されます(11節)。それはダビデの子ソロモンの時代に建てられ(12節)、

永遠に続くのです(13節)。そしてダビデの子孫であるイエス・キリストにより、正に永遠の御国が完成するのです。

ダビデは、神がダビデの家を永遠に守ってくださる約束を聞き、「私がいったい何者だというのでここまでしてくださるのですか」(18〜19節)と神に感謝の祈りをささげます。

前章に出てくる、サウル王の娘というプライドをもった妻ミカルとは大違いです。高い心は神に感謝をすることができません。でも心低い者は、いただくもの全てが感謝です。ダビデは、神からまだ約束を受けただけです。でも神の約束は必ず成るから、感謝なのです。ダビデは、その人生において必ずしも真っ当な生き方をしていたわけではありません。しかしサウルは退けられたのに、神はダビデの家を祝福されました。そのような神のあわれみをダビデが受けていったのは、へりくだった心をもっていたからかもしれません(Tペテロ5:5〜6)。神の力強い御手の下にへりくだったダビデを、神は時いたってイスラエルの王にされました。何もかも思い通りに行かなくて良いのです。スムーズに事が運ばなくても良いのです。むしろその時に力強い神の御手の下でへりくだっていることが大事です。

ダビデは、神の箱を天幕から立派な杉材の家に移そうと願いましたが、その願いは却下されました。しかしそれに勝る壮大な神の約束ガ与えられたのです。そしてまだ実現していないけど、その約束をいただいたことでダビデは力づけられ、神に感謝の祈りをささげています。神の約束をいただくことは大きな力です。私たちの願いが実現しなくても、神の約束があれば希望を持って歩むことができるのです。神は私たちに聖書を通して神の約束を語り尽くしておられます。常に聖書にある神の約束に心を留めていきましょう。人の言葉や世の情報に振り回されないように、しっかりと与えられている希望の約束を握り締めていきましょう。

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