サムエル記U 8章
「主が与えてくださる勝利」
イスラエルではダビデ王朝が確立し、国の中も安定してきました(15〜18節)。
これまでサウル家との確執でイスラエル国内はガタガタしていましたが、ここにきてダビデはようやく外に向かって本来の力(神からの力)を発揮していくようになります。
ダビデは、@ペリシテ人を打ち(1節)Aモアブを治め(2節)B北方のツオバに勝利し(3〜4節)Cアラムに守備隊を置き(5〜6節)Dハマテと協定を結び(9〜10節)Eエドム全土を征服しました(13〜14節)。
ここは決してダビデの功績を讃えている箇所ではありません。「主はダビデの行く先々で彼に勝利を与えられた」(6節、14節)と、強調しています。主がダビデと共におられたから、彼は勝つことができたのです。また彼がどこまでも神により頼んだから、勝利を得られたのです。ダビデ自身もそのことを理解していました。だから征服した国々の戦利品を聖別して主にささげています(11節)。自分の力で勝ち取ったなら、戦利品を全て自分のものとしたでしょう。しかし全ての戦いで勝利を与えてくださったのは主だと認めていたから、彼は戦利品を主にささげていきました。私たちが主にささげもの(献金など)をするのは、与えられたものが全て主の恵みとあわれみによることを認めているからです。主が常に私の先を歩んでくださり、導いてくださったからこそ今の自分があることを思うなら、私という存在自身がすでに主のものなのです。
13節の塩の谷での戦いは、かなり苦戦したようです(詩篇60篇)。戦いにおいて、徹底的に自分たちの限界を感じました(60:1〜3、9〜10)。しかしそこで人の救いがいかに空しいかを知り(60:11)、「神によって」のみ力ある働きをすること、神こそが敵を踏みつけられることを体験しました(60:12)。神がいてくださらなければ、行き詰るしかないことを徹底的にこの苦しい戦いを通して知らされたのです。だから自分の限界を知ることはいいことです。行き詰って自分の力のなさを知ることはいいことなのです。そこで初めて、死者をも生かす全能の神の力により頼むようになるのです(Uコリント1:9)。ダビデはこの苦しい戦いを通して、「神によらなければもうダメだ」ということを身をもって体験しました。神から離れては、私たちは何もすることができないのです(ヨハネ福音書15:5)。全ての良きものは神からきます。だから私たちには誇れるものは何一つありません。ただ神に感謝をささげ、主に栄光をお返ししていくのみです。