「みことばによって立ち上がる」エズラ記 5章1〜17

 ペルシャ王クロスの勅令により、イスラエルの人々はバビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還しました。勅令には、バビロン帝国に破壊されたエルサレム神殿の再建も命じられていました。

 これによってイスラエルの民たちは、神殿の再建を紀元前538年に始めましたが、サマリヤ人の執拗な妨害により、工事は中断せざるを得なくなります(前536年)。


<1〜2節>

 信仰の戦いには、外部からの圧力や迫害と同時に、内側の戦いがあります。サマリヤ人の妨害によって、神殿建設工事が中止になると、民たちは次第に自分たちの生活を中心に考えるようになります。

 起工式の時には、あれほど感動して熱い思いで祈りと讃美をささげたにもかかわらず(3:10〜13)、工事が中断して時間が経過するにつれて、基礎工事止まりになった神殿の側を通り過ぎても、民たちは何も感じないようになっていきました。

 16年の工事中断が、民たちの心を、神礼拝よりも自分たちの生活を第一とするように変えていったのです。もはや神殿という建物以前に、信仰の共同体(エクレシア)が内側から崩れていく危機にありました。  

 その状況下に、預言者ハガイとゼカリヤは、「ユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言」しました。霊的に停滞して、自分中心になっている民たちに、神のことばが語られたのです。

 それを聞いて、一族の長である「ゼルバベルとヨシュア」の2人が立ち上がり、「エルサレムにある神の宮を建て始め」ました。この2人がみことばに奮い立たされ、16年の沈黙を破り、神殿建設を再開します(前520年)。  

 預言者ハガイは、

 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ」(ハガイ1:4〜5)

 「あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。

 それはなぜか。― 万軍の主の御告げ ― それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたはみな、自分の家のために走り回っていたからだ。

 それゆえ、天はあなたがたのために露を降らすことをやめ、地は産物を差し止めた。」(ハガイ1:9〜10)と、繰り返し「現状をよく考えよ」と民たちに語りかけました。

 預言者ゼカリヤは、 『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によってと万軍の主は仰せられる。大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ』(ゼカリヤ4:6〜9)と、ゼルバベルたちを励ましました。


<3〜5節>

 ペルシャ領土には州ごとに総督が立てられていました。川向こう(ユーフラテス川西側のパレスチナ)の総督タテナイたちは、ゼルバベルたちによる神殿建設を知って、誰の命令で工事をしているかを問いかけます。

 けれども、「ユダヤ人たちの長老たちの上には神の目が注がれていた」ので、工事は中断させられませんでした。


<6〜17節>

 総督タテナイたちは、ペルシャのダリヨス王に自分たちが調査した事がらを手紙で報告し、エルサレム神殿建設工事を続行させてよいかの判断を求めます。  

 その報告では、工事は順調で「大きな石」や「木材」など莫大な費用と労力がかけられていることで、ユダヤ人の献身と熱意と信仰告白と罪の悔い改め(8〜12節)とを伝えています。   

 そして、この神殿建設が、ペルシャのクロス王の命令によることをユダヤ人から聞き、その確認を王に求めています。王の命令であれば、一日も早く神殿を完成すべきでした。ですから確認中も神殿建設は続行できたのです(5節)。


(まとめ )
〇まず、私1人から神のみことばに応答しよう

 サマリヤ人たちの妨害で、第2神殿の建設は16年間中断されていました。しかし預言者ハガイ、ゼカリヤたちがユダヤ人に神のことばを語ると、まずゼルバベルとヨシュアが立ち上がりました。神のことばに応答したのは、最初2人でしたが、それがユダヤ人全体に広がっていきます。 みことばに応答して従う人は、最初は1人2人でいいのです。まず私1人がみことばに応答していく時に、みことばに応答する人たちが起きてきます。

〇日々みことばによって励まされよう

 預言者たちを通して語られた神のことばは、神殿が完成するまで、民たちを励まし続けます。

 私たちも、毎週の礼拝や、日々のデボーションを通して、みことばで励まされ、支えられ、神の民として生き続けることができるのです。

〇霊の再建が必要

 私たちの教会も、建物はありますが、霊の再建が必要です。

 そのために、一人ひとりが神のことばに応答して立ち上がれるよう祈りましょう。

 喜んで、自主的に、神が備えてくださったからだの中の器官としての役割を一人ひとりが果たす時に、キリストのからだなる教会は成長していきます(Tコリント12:18、エペソ4:16)。

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