「敵対する者」   
       T列王記11:7〜43

 異教の偶像を崇拝する外国の妻たちにより、ソロモン自身も心を転じて偶像崇拝をするようになります(7〜8節)。

 神はソロモンに再三警告を与えましたが、ソロモンは妻たちへの情に引きづられ、偶像から離れませんでした。神との契約を破り神に従うことを止めたソロモンに、神はやがて王国が分裂すること、王位がやがてソロモンの家来に与えられること、しかし父ダビデに免じてソロモンの時代にはそれらは起きないこと、また一つの部族だけはソロモンの子に与えられることなどを告げました(9〜13節)。

 神に従うことを止めたソロモンに、神は敵対する者たちを次々に起こされます。南のエドムからはハダデ(14〜22節)、北のダマスコからはレゾン(23〜25節)、そしてイスラエル内部からはソロモンの家来ヤロブアム(26〜40節)が敵対者となります。特にヤロブアムには、預言者アヒヤより、神がソロモンに語られたのと同じ内容が告げられます(29〜39節)。 晩年の罪による堕落した生活、そして敵対者に囲まれながらも、ソロモンは神の約束通り(12、34節)、40年王として在位しダビデの町に葬られました(41〜43節)。

 神の裁きの中にも、あわれみを感じます。人間の罪や弱ささえも神は飲み干すかのように、ご自身の計画を進めていかれます。ソロモンの罪は国の衰退につながりますが、やがてはまたイスラエルの悔い改め、回復、そして更に救い主の到来、新天新地へと、大きな神の祝福の出来事へと続いていくのです。神の壮大な計画は、私たちには測り知れない神の知恵があるのです(詩篇139:17)。

 神に従わず、偶像に頼ったソロモンに、神は敵対する者を起こされました(14,23節)。しかし、彼らはソロモンが偶像に向かった時に突然現れたわけではありません。ソロモンが王になり、真剣に神の知恵を求めていた時にも、すでに敵対していたのです(21節)。ソロモンが謙虚に神に国を治める知恵と力を求めていた時にも、敵たちはいました。しかしそれによって、ソロモンの働きが妨げられたわけではありませんでした。敵たちや、様々な妨げも、ソロモンが神に向かい、従おうとしていた時には、大きな問題とはならなかったのです。むしろ、彼が神から離れ、偶像に心を寄せていったときに、それらが大問題となり、事実国の衰退につながっていくのです。

 私たちにとって、「キリストのうちにあるなら」(Uコリント5:17)、敵の存在や、様々な困難は、大した問題ではないのです。本当の敵は、唯一私たちを神から引き離そうとする悪魔だけです(エペソ6:10〜13)。神に従わないように仕向けていく悪魔(サタン)が唯一の敵であって、見える敵は本当の敵ではないのです。問題は、私たちが「キリストのうちにあるかないか」の一点です。キリストのうちにあるなら、悪魔はただほえたける獅子(Tペテロ5:8)のように、吠えて威嚇しているだけで、指一本触れることはできないのです。

 神の元にいて、神から絶えず知恵と力を受けていたソロモン王国は、色々な課題は抱えながらも、守られていました。 悪魔の策略に対抗するには、へりくだって神に近づき、従うことを求めていくことです(ヤコブ4:6〜10)。そうすれば、悪魔は逃げていくのです。見える敵や障害があることは、根本的問題ではなく、私たちがキリストのうちにいないことが大問題なのです。

 キリストにとどまり、キリストのことばがとどまっているなら、私たちは大胆に何でも神に祈り求めることができるのです(ヨハネ15:7)。ですからへりくだって、神に近づきましょう。何度失敗しても、ダビデのようにまた悔い改めて神に従うことを決心しましょう。





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