「心の中の偶像」
T列王記16章
2つに分裂したイスラエルは、北王国も南王国も偶像崇拝の道を突き進み、神に対する反逆はブレーキがきかないほど加速していきます。
1〜7節
北王国のヤロブアム王全家を根絶やしにしたバシャも主の目の前に悪を行い、ヤロブアムと同じ罪の道をたどります。預言者エフーを通して神から、バシャの家に対する厳しいことばが語られます。
8〜14節
南ユダ王国ではアサ王が統治していた時に、北王国ではバシャが死に、その子エラが王になります。しかしエラの家来ジムリが謀反を起こし、エフーの預言通り、バシャの子エラと全家が根絶やしにされます。それはバシャもエラも、「むなしい神々によって」イスラエルに罪を犯させ、主の怒りを引き起こしたためです。神でないものを神とした結果なのです。
15〜20節
北王国の王となったジムリは謀反を起こして力づくで政権を獲りましたが、あまり人望がなかったようです。民たちは、ジムリが謀反を起こしたその日に、将軍オムリを王としました。ジムリはオムリ軍に包囲され、勝ち目はないと判断して自害し、7日間でジムリの統治は終わります。これも、ジムリがヤロブアムと同じ偶像の道を歩んだ結果です。
21〜28節
オムリが王になると、民の半分はティブニに従い、北王国が二分します。そしてティブニの死により、オムリは北王国唯一の王になります。オムリは、後世に名を留めるサマリヤの町を建設しました。オムリも、「むなしい神々によって」主の怒りを引き起こします。しかも「彼以前のだれよりも悪いことをした」のです。イスラエルの堕落は、益々進んでいくばかりでした。
29〜34節
南ユダ王国ではなおアサ王が統治している時に、北王国ではオムリが死に、その子アハブが王になります。しかもアハブの罪は、オムリ以上でした。「彼にとっては、ヤロブアムの罪の内を歩むことは軽いことであった」と、罪の意識もなく、主なる神ご自身を意識さえしていないのです。アハブはバアル崇拝に熱心なイゼベルと結婚し、バアル礼拝を国家的制度にし、アシェラ像も造り、徹底的に主なる神を無視していきました。
また神がヨシュアの時代に聖絶するように命じられたエリコの町(ヨシュア6:26〜27)を再建してしまいます。その時に予告された通りの悲劇が、再建したヒエルの身に起こります。
この16章だけでも、バシャ→エラ→ジムリ→オムリ→アハブと、北イスラエル王国の王が次々と交代しています。信仰の堕落が、政治の衰退にも影響を与えています。どの王たちも、むなしい偶像に頼り、主の前に罪を犯しました。偶像は、徐々に人々の心を支配し、やがて完全に虜にしていきます。最初は偶像崇拝だと気づかないところから始まっていくのです。
神の偉大な力を体験してきたイスラエルの民たちもこのようになるのですから、誰もがこの危険に晒されているのです。
目に見える偶像ではなくても、私たちの心を支配するもの、すぐに心がとらわれるものが偶像となっていきます。自分にとって何が偶像になりやすいかを知っていることは大事です。何かあるとすぐに頼ったり、逃げてしまうというものだけでなく、自分の苦手な人や敵対している人さえも、その人の言葉や態度にとらわれ支配されていくなら、立派な偶像と化していきます。自分の偶像になりやすいものが何であるかに気づいていることで、支配されるまでいかずに守られることがあります。
怖いのは、気づきもしないことです。霊的に鈍感になりきっている状態です。まさかと思うものが、自分の心の偶像となって生ける神との関係を曇らせてしまうのです。
私たちの神はただひとりです。その方を心を尽くして愛し、(人の言葉ではなく)神のことばを「心に刻みなさい!」と命じられています(申命記6:4〜6)。
満ち足りた時に主を忘れて、むなしいものに従うことがないように、「主が正しいと見られることをしなさい」と命じられています(申命記6:11〜18)。何が私たちの心を、神(あるいは神の言葉)以上に支配していますか?あなたの偶像は何ですか?すぐに神との関係を曇らせるものは何ですか?まず聖霊に教えていただきましょう。そして気づいたら、私たちの心がその偶像に支配されてしまわないように、聖霊に助けを求めましょう。聖霊は助け主ですから、必ず助けてくださいます。