「神の臨在が満ちあふれる神殿」               T列王記6章

イスラエルのおびただしい民たちを王として治めるために、ソロモンは神の知恵を祈り求めます。
その願いを神は聞きいれ、ソロモンに知恵と広い心をも与えてくださいました(4:29)。
それにより、国民からも信頼され、また近隣諸国とも平和な関係を築くことができ、神殿建設のための環境も整えられていきました。
ソロモンが神殿建設に取りかかったのは、出エジプト480年目と記されています(1節)。
エジプトを出てからも、民たちは約束の地を目指して荒野の旅を続けました。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、神の臨在として民たちを導きました。
神殿建設は、出エジプトの終結であり、また新しい神のみわざの始まりでもあります。
今度は、神殿を通して神の臨在に触れ、またイスラエルに留まらずやがては、神のみわざが全世界に現されていくようになるのです。
神殿建設は、ただ「イスラエルのための神」ではなく、「神のためのイスラエル」として、神の目的のために尊く用いられ、全世界に神のみわざを現すイスラエルとなる一歩でもあるのです。
立派な建物という外面ではなく、「ここに主が住んでおられる」という神の臨在によって、そのことは実現していくのです。
この神殿は、至る所に純金が用いられています(20、21、22、28、32節)。
そして完成までには、7年の歳月がかかりました(38節)。
この神殿建設は、神がダビデの時代から命じておられたことであり、同時にソロモンが神に知恵を求め、神の約束を信じて従った信仰の表れでもありました(12節)。
その神殿において、最も大切なことは「主がただ中に住んでおられる」(13節)ことです。
神の民一人一人が、神の神殿です(Tコリント3:16)。
礼拝者である一人一人のただ中に、神は住んでおられます。
その神の神殿である一人一人が、神を一致して礼拝する中で、主の臨在は満ちるのです(U歴代誌5:13〜14)。
ソロモンの神殿は、金もちりばめられ、荘厳で立派でした。
しかし大事なのは、主の臨在が満ちあふれていること、主がただ中に住んでおられることでした。
実際に、神殿の中の金は、やがて外敵の格好の略奪目標になります(U列王記18:13〜16)。
また紀元前586年のバビロン侵攻により、この神殿ごとエルサレムは破壊されてしまいます(U列王記25章)。
やがてバビロン捕囚から帰還し、神殿を再建する時も、再建中の神殿の貧弱さが指摘されることにもなります(ハガイ2:3)。
しかし「金銀はわたしのもの」とおっしゃる主は、奪われた金を神殿に戻し、金ずくめのソロモンの神殿よりはるかに勝る後の栄光を与えるとおっしゃいました(ハガイ2:7〜9)。


外見の立派さや高価さは、よい形で用いられることもありますが、同時にそれがあだになったり、見た目にとらわれて本質的なことから目がそらされることもあります。
神殿にとって最も大切なことは、主がそのただ中に住まれることです。
そして神の神殿である一人一人が、神を信じ、神の約束に望みをおいて歩み続けていくことです。
主の臨在がなければ、神殿もただの建物です。
たえずその中で祈りがささげられ、讃美がささげられ、真の神礼拝がささげられていることが大事なのです。
神に自分自身を生きた供え物としてささげていく、霊的な礼拝を一人一人がささげ(ローマ12:1)、生ける神との人格的な交わりがもたれ、神の臨在がさらに満ちあふれていく礼拝、また神殿であるように、主に求めていきましょう。

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