「神との契約に生きる」 T列王記8:1〜21
エルサレムの神殿が完成し、主の契約の箱を神殿に搬入します。
契約の箱には、神のことば(十戒)を刻んだ2枚の石の板が納められています。
それは神とイスラエルとの契約の基盤となるものでしたので大切に扱われました。
この契約の箱を運び入れるため、ソロモン王は長老、部族のかしら、一族の長を召集しています(1節)。
神との契約関係を与えるみことばを何よりも大事にすることを示しています。
契約の箱が至聖所に運び込まれると、雲が主の宮に満ちました(10節)。
雲は主の臨在の象徴として、これまでもイスラエルを導いてきました(出エジプト13:21〜22、24:15〜18)。
主の臨在が満ちて、祭司たちは雲にさえぎられ、そこに立っていることができず、祭司としてのなすべき働きもできないほどでした(11節)。
神殿における礼拝は、祭司も含め人のわざではなく、神の主導によることなのです。
主の臨在が満ち、主の栄光が現れることが何よりも大切なのです。
人や人の働きに注目すべきではないのです。
確かに主は人を用いてご自身のみわざを進められますが、その全てを統括しておられ、導いておられるのは主なのです。
実際には人が用いられますが、人の働きさえも見えなくなるほどに、主の栄光が満ち、唯一の神だけが崇められていくことが大切なのです。
ソロモンは、厚い雲におおわれた暗闇の中に確かに主がおられることを知って、主がこの宮を建ててくださり、喜んでいてくださることを実感しました(12〜13節)。
主の臨在が満ちて、人々も起立せずにはいられませんでした(14節)。
ソロモンは、父ダビデが主の名のために宮を建てることをいつも心がけていたこと、そしてそのように心がけていたことを神は「あなたはよくやった」と言って喜んでくださったことを民たちに伝えます(17〜18節)。
日頃から心がけていること、大切にしていることは、そのまま行動にも影響を与えていきます。
心がけていることが大事なのです。
心がけていれば、必ずそのような生き方になっていきます。
神は神殿建設のために心砕き準備をしていたダビデではなく、ソロモンが神殿を建てるとおっしゃいました(19節)。
人それぞれに神からの使命があります。
その領分を侵してはいけないし、また与えられた使命を疎かにしてもいけないのです。
ダビデにはダビデの分があり、ソロモンにはソロモンの分がありました。
自分の使命に集中し、他の人の使命にまで首を突っ込む必要はないのです。
神から自分に与えられた使命をしっかり受け取り忠実であること、そのことを常々心がけていることを主は喜んでくださるのです。
神とイスラエルの間に交わされた契約(21節)は、民が神のことばをすべて行い、神に従う民を神は宝の民として守るというものでした(出エジプト19:5〜8)。
しかし「私たちは主が仰せられたことをみな行います」と宣言しても、すべてを行い得ないことを人は知り、罪ある存在であることを認めざるを得ないのです。
やがてこの罪からの救い主として、イエス・キリストが世に遣わされ、十字架で罪の身代わりに死なれるのです。
今新約の時代に生きる私たちは、このキリストを罪からの救い主と信じて救われるという恵みの契約関係に生かされています。
行いによってではなく、信仰によって救われるという契約です。
この契約は、聖書にはっきり刻まれているのです。
そしてこの恵みによる契約が結ばれていることを聖書を通して確認するたびに、平安が与えられるのです。
私たちがこの神との契約を大切にし、この契約にたえず心を向け、神から語られた福音で生きようと心がけていくことを、主は喜んでくださるのです。
キリストを仲介者とする新しい契約に生かされているのですから、そのことをいつも思い起こし、恵みによって主の民とされた者として、神から与えられた新しい使命に生きましょう。
それだけが、私たちを満足させ、最後のときに良い人生だったといえる生き方となるでしょう。
「あなたはよくやった、私が与えた使命をいつも心がけていた」と主から終わりの時に言われる人生でありますように。