「喜びの回復」  列王記第2 11章1~21


<1節>

 9章28節からの続きです。

 アタルヤは、北イスラエルのアハブ王とイゼベルの娘です。北イスラエルのアハブ王と南ユダのヨシャパテ王が南北友好関係を結ぶために、自分たちの子どもたちを結婚させたため、アタルヤは、南ユダのヨラム王の妻になりました。

 彼女は、アハブ王とイゼベルのもとで培われたバアル信仰を、南ユダ王国にも広めていきます。その影響もあって、夫のヨラム王もその子アハズヤ王も、「主の目の前に悪」を行いました(8:16~19、8:25~27)。 彼女は、自分の子のアハズヤ王がエフーによって殺されたと知ると、「ただちに王の一族をことごとく滅ぼし」ました。アハズヤ王の死後、北王国出身の自分が南王国で地位を確立し、バアル信仰を守っていくためには、南ユダの王にならなければならないと考えたからです。そのため、南ユダのダビデの家系が邪魔になり、ダビデの血を受け継ぐ自分の子や孫たちさえも滅ぼそうとしたのです。


<2~16節>

 しかし、アハズヤの姉妹エホシェバ(祭司エホヤダの妻)は、アハズヤの子ヨアシュとその乳母を神殿の小部屋に入れて、アタルヤから隠しました。(2~3節)。その後、ヨアシュと乳母は、アタルヤが王であった6年間、神殿の一室でかくまわれていました。

 7年目に祭司エホヤダは、カリ人(ペリシテ系の人種)と近衛兵の百人隊長たちを呼び出し、ヨアシュを見せます。それから、百人隊長たちに、ヨアシュをアタルヤ勢力から守り、王に任命するための戴冠式を行う場所まで連れ出す方法を指示します(4~9節)。

 祭司エホヤダは、ヨアシュに王冠をかぶらせ、王位継承のしるしとしてさとしの書(律法)を渡し、王と宣言します(11~12節)。

 アタルヤは、近衛兵と民の声を聞き、神殿に行きます。すると、ヨアシュが王の権威を示す(23:3)柱のそばに立っていて、人々が新しい王の誕生を喜んでいました。

 「謀反だ」と叫ぶアタルヤを、祭司エホヤダは百人隊長に命じて王宮に連れて行かせ殺害します。

 こうして、残虐な政治を続け、自分の地位とバアル崇拝を守ろうとして悪を重ねたアタルヤ政権は崩壊しました(13~16節)。


<17~21節>

 祭司エホヤダは、主と王と民との間で、主の民となるという契約を結びます。南ユダを霊的に暗くしていたバアルの祭壇と像を、人々は打ち砕き、バアルの祭司を殺します。

 そして祭司エホヤダは、主の宮の管理を定めます。アタルヤに感化されていた者たちがバアル信仰を土台にしていた体制や人事を一新し、真の神を畏れ崇める者たちで管理するようにしました。  

 次に、7歳のヨアシュを王宮に連れて行き、王座に着けます。そして祭司エホヤダと彼の妻エホシェバのもとで、ヨアシュは(バアル神ではなく)生ける神への信仰を培われ、成長していきます。  

 南ユダ王国の人々は、みな喜び、平穏が戻ってきました。  

 9章でイスラエルにバアル信仰を広めたイゼベルが打たれ、10章でエフーによりバアルの宮とバアルに仕える者たちが打たれ、この11章では南ユダでバアル信仰に基づく政治を断行したアタルヤが打たれ、人々に喜びと平穏が戻ってきました。  

 こういうところを読みますと、自分たちが住んでいる所の異教の建造物を破壊したり、異教徒たちと争うべきかのように捉えかねません。けれども、私たちは新約の時代に生きているのです。

➣ 主イエスの言葉を通して、旧約聖書を読む必要があります。

 主イエスは、「自分の敵を愛しなさい」(マタイ5:44)、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26:52)と言っておられます。むやみに異教徒たちと争ったり建物を壊したりすることは、決して主イエスの喜ばれることではありません。

 だからと言って、偶像に積極的に関わることも主のみこころではありません(Ⅰコリント10:7、14)。  

➣ 偶像に囲まれたこの国にあって、私たちが南ユダの人々のような喜びと平穏を取り戻すには、どうすればよいのでしょうか?

 それはすべての罪を処分して、神との和解をもたらす十字架のキリストを受け入れ信じることです。十字架で死なれたキリストこそ、人々を、偶像の汚れからきよめ、救うことができるのです。

 キリストを信じて罪をきよめられた者たちの心に、聖霊が住んでくださいます。私たちの内側が、聖霊の宮となるのです(Ⅰコリント6:19)。その時に、様々な目に見える偶像から解放され、喜びと平穏が訪れるのです。

 偶像の地にいながらも、聖霊の宮となる者たちが増えていくなら、自ずと偶像の必要がなくなり、消えていくのです。

➣ 自分自身はどこまでも聖霊の宮として、偶像崇拝者にならないよう注意しつつ、真の喜びと平穏を与えてくださるキリストを伝えていきましょう。

 そして、キリストが、私たちの家を、町を、国を支配してくださることを何よりも求めていきましょう。  

➣ 偶像や、偶像に捕われている人に目を留めるのではなく、キリストをいよいよ崇めていきましょう。  

 キリストこそ、私たちの平和です(エペソ2:14)。キリストの支配が、日本に、世界に及んでいきますように!

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