「北イスラエル王国の滅亡」 列王記第2 17章
<1~6節>
北イスラエルでは、ホセア王(預言者ホセアではありません)が最後の王となります。ホセア王はア ッシリヤ王(この時はシャルマヌエセル5世)に一度は服従しますが、ある時から貢物を納めなくなり
ます。不審に思つたアッシリヤ王は、ホセア王がエジプト王に頼り支援を受けようとしていたことに気 づき、アッシリヤヘの謀反としてホセア王を捕えました。
そして、アッシリヤはサマリヤを包囲し、イスラエル人たちをアッシリヤに移し、いくつかの町々に 分散して住ませました。実質上北イスラエル王国の崩壊です。
<7~23節>
北イスラエルが減亡した理由について記されています。それはイスラエルの民たちが、神との契約を 破つたことに起因しています。
神は、エジプトで奴隷として苦しむイスラエルの民たちをあわれみ、モーセを遣わして解放してくだ さいました。そしてシナイ山で十戒が与えられ、民たちはそれに従い、神は民を宝のように守るという
契約が交わされたのです。
けれども民たちはその契約を破り、人間が造った偶像を拝み、約束の地に導かれると、その土地の人々 が崇拝していたものを神のように拝み、神を侮つたのです。
主は預言者たちを遣わし、再三警告を与えましたが、民たちは聞き入れず、いよいよ「うなじのこわ い(頑なな)者」となりました。民たちは、神のことばと契約を退け、むなしいものに従つて歩んだ結
果、「自分たちもむなしいもの」となつていつたのです。日に見えるものを次々と崇拝の対象とし、異 教の習慣を行い、主の怒りを引き起こしました。
イスラエルの民たちが神のことばを軽んじ、神との契約を捨てた結果、預言者の警告通り、イスラエ ルはアッシリヤに連れていかれることになったのです。それは、民たちが選んだ道でした。
<24~34節>
アッシリヤ王は、北イスラエル王国の首都だったサマリヤとその周辺に、アッシリヤの人々を住ませ ます。戦争のため荒廃したサマリヤの町は、獣たちがうろつくようになっていました。アッシリヤの人々
がサマリヤでライオンに殺されたことを、アッシリヤ王はイスラエルの神にならう慣習をしていないか らと考え、アッシリヤに移送した祭司のひとりをサマリヤに帰らせ、イスラエルの慣習を教えるように
させます。
祭司は、どのようにして主を礼拝するかを教えますが、結局民はそれぞれに自分たちの神を造り、勝 手に祭司を任命し、自分たちの気に入つたやり方を貫いていきました。形式的には主を礼拝しながら、
自分たちの造り出した神々にも仕えたのです。「彼らは主を恐れているのでもなく、主の命令通りに行 っているのでもない」という状態が続きました。
これは、何となく習慣で神を礼拝しているけれど、心から神に従おうとはしない現代の信仰者と重な ります。
<35~41節>
結局アッシリヤから来た異邦人たちと、サマリヤに残つていたイスラエル人たちは、混合宗教を取り 入れて、何の矛盾も感じずに日々を送ることになりました。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出エジプト20:3)という神 の戒めを破り、民たちは、ほかの神々を恐れる生き方を選んでいったのです。
実在しない神々を拝むということは、他の神々を恐れるということになります。しかし「ほかの神々 を恐れてはならない」と繰り返し言われています(35、37、38節)。
(まとめ)
日本にあっても、主を礼拝しながら、刻んだ偶像をも拝む危険が常にあります。生ける神を礼拝しな がら、人間が造った偶像に仕えるなら、それは霊的姦淫(浮気)になります。二人の主人に仕えること
はできないのです(マタイ6:24)。神以外のものに仕える時、それは自分の欲に仕えているのです。 自分の欲を成し遂げてくれる神に仕えようとしているのです。
北イスラエルは、ヤロブアムの罪(偶像崇拝によつて国をまとめようとした)を引き継ぎ、ついにア ッシリヤに滅ぼされてしまいます。それは、神がアッシリヤを用いてなさったことです。それほどに、
「ヤロブアムの罪」は重いのです。一国を滅ぼすほどなのです。
かつて神社参拝を強要することで、国をまとめて戦争に国民を駆り出した日本に似ています。その結 果大きな痛みを国ごと経験することになりました。「神である主にだけ仕えなさい」(マタイ4:10)
という主のことばを無視することは、滅びの道であるとを歴史が証明しています。
「罪の奴隷」という束縛から私たちを解放してくださつた偉大な主を忘れ、ほかのもので心を満たそ うとするなら、むなしい存在となるばかりです。私たちの心は、主以外のものに心がとらわれやすいの
です。人間の罪の習性は、なかなか「主だけ」になれないのです。
だから、聖霊の助けが必要です。聖霊が注がれる時に、偶像の汚れからきよめられ、新しい心が与え られ、喜んで神のことばに従う者と聖霊がしてくださいます。
いよいよ自分の心の中にある「ヤロブアムの罪」を認め、聖霊の助けを求めていきましょう。