「ヒゼキヤ王の礼拝改革」  列王記第2 18章


<1~8節>

 北イスラエル最後の王ホセアの第3年に、南ユダはヒゼキヤが王になります。彼は、前王アハズ(16章)とは違い、ユダ国の霊的危機を大きく変換させた信仰の人でした。 様々な偶像を取り除き、ネフシュタンと呼んで偶像化していたモーセの作った青銅の蛇(民数記21:4~9)も打ち砕きました。  

 ヒゼキヤは、主に堅くすがり、主が共におられたので、どこへ出陣しても勝利を収めました。  

 前王アハズは、アッシリヤに仕えたため異教の慣習が導入されてしまいましたが、ヒゼキヤは信仰によって、当時強力であったアッシリヤに仕えませんでした。


<9~12節>

 ここには北イスラエルの最後と、滅びた理由が端的に述べられています。このことは、南ユダ国への警告でもありました。神は周囲の出来事を通して、私たちに注意を促しておられます。

<13~16節>

 南ユダ国の礼拝改革をしたヒゼキヤ王ですが、アッシリヤ王セナケリブにユダの城壁がある町々を攻め取られると、アッシリヤに貢物をします。これまで信仰によってアッシリヤに仕えなかったのですが、「私は罪を犯しました」と、アッシリヤ王に誤った謝罪をしてしまいます。


<17~25節>

 アッシリヤは、南ユダ国に完全降伏するよう要求します。ラブ・シャケ(アッシリヤ高官の称号)は、イスラエルがこれまで親交をもってきたエジプトを否定し、イスラエルの神をも否定します。エジプトでも、イスラエルの神でもなく、アッシリヤに仕えるように要求します。  

 その上、あたかも自分たちがイスラエルを攻め上ったことも、神の命令であったかのように、わざと民たちにもわかるユダの言葉(へブル語)で叫びます。


<26~27節>

 ヒゼキヤ王の側近の者たちは、民衆たちがわかるへブル語で話されると彼らが動揺するので、当時の公用語であったアラム語で話すようにラブ・シャケに求めます。けれどもラブ・シャケは、自分たちに降伏しなければ、包囲されて飢えに苦しむことになると、民たちのわかる言葉でなお訴えかけます。


<28~37節>

 さらにラブ・シャケは、民たちにも聞こえるよう大声で、ヒゼキヤ王にごまかされずアッシリヤに従うよう要求し、従うと繁栄と祝福があると約束します。そして、アッシリヤへの捕囚があることを示唆しながらも、その地がいかに豊かであるかを伝えて誘惑します。  

 そのような状況でも、民たちはヒゼキヤ王の命令に従い、黙っていました。それだけ、ヒゼキヤ王への信頼が厚かったのでしょう。  

 ヒゼキヤ王は、一度はアッシリヤになびきますが、その結果さらにアッシリヤから降伏を要求され、このあと生ける神に真剣に向かわざるを得ないようになります。


 (まとめ)

 ヒゼキヤは、前王アハズが国に取り込んだ偶像をことごとく取り除き、礼拝改革をしました。主に堅くすがり、主の命令に従い、主は彼と共におられたので、戦いに勝利しました。  

 私たちが主を礼拝し続けるためには、たえず礼拝改革が必要です。私たちの心は、様々なものを偶像にして、神との関係を遮断します。  

 神を礼拝したいのに、すっきりと主を仰げない時は、何かが偶像となって私たちの心を塞いでいるのかもしれません。  

 聖霊に拠らなければ、心の偶像を取り除くことはできません。   主との関係を妨げる偶像が何かを知り、聖霊にたえず処分していただきましょう。