「主に泣き叫ぶ祈り」 列王記第2 20章
<1~3節>
南ユダ国が、アッシリヤの脅威にさらされていた頃、国王ヒゼキヤは、死に直面する病気になりました。そこに預言者イザヤが来て、「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない」と宣告します。
ヒゼキヤはそれを聞いて、顔を壁側に向けて主に祈りました。この悪い知らせを伝えたイザヤや人に向かわず、すぐに主に向かったのです。そして大声で泣きながら、主に訴えたのです。恐らくこの時彼は、39歳位でした(18:2、20:6)。まだ若く、王としてもすべきことがたくさんあると思われたでしょう。
<4~7節>
大声で祈り泣き叫ぶヒゼキヤの声を聞きながら、イザヤがまだ中庭を出ないうちに、主のことばが彼にありました。「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。三日目には、あなたは主の宮に上る」と。当時律法により、腫物があるままでは宮に入ることができなかったので、三日後には完全にヒゼキヤの病が治るという宣言です。
そして、15年の寿命が彼に加えられました。寿命が延ばされた理由は、神がアッシリヤ王の手から彼とエルサレムを守るのを見せるためと、そのために彼を用いるためでした。
神は、あえて当時効能があるとされていた干しいちじくの実を、ヒゼキヤの腫物に当てて病を癒しました。私たちが病気になった時にも、薬やからだに良いものを飲んだり、治療を受けたりします。それらをも用いて、主は癒してくださるのです。
<8~11節>
ヒゼキヤは、主を試すためではなく、主のことばを信じたいという理由でしるしを求めました。三日後に宮に上れるほどに、完全に癒されるしるしとして王が求めたのは、当時使われていた日時計の影が10度戻ることでした。イザヤが祈るとそのとおりになりました。ヒゼキヤ一人のために、神は宇宙の動きをも変えてくださったのです。
<12~15節>
アッシリヤは、セナケリブの死後も強い勢力を保っていました。その後、紀元前612年には、新バビロニヤがアッシリヤを滅ぼすことになりますが、まだこの時はバビロンもアッシリヤに脅威を感じていました。そこで、バビロン王メロダク・バルアダンは、ヒゼキヤにお見舞いのための使者を遣わし、手紙と贈り物を届けます。
ヒゼキヤもアッシリヤの攻防に備えてバビロンに頼ろうとして、国内の宝庫などを安易に見せてしまいます。戦国時代に、外国の使者に、不用意に国の大切な部分を公開したりしは普通しません。今後バビロンが敵になった時、町の防衛状態や構造など、弱点をすべて知られていることになります。
<16~19節>
主のことばを聞かず、自分の思いでバビロンに頼ろうとしたヒゼキヤに、イザヤは主のことばを伝えます。それは、やがてイスラエルがバビロンに捕囚されるとの預言でした。
それを聞いて、ヒゼキヤは恐れたり悲しんだりするのではなく、ひとまずしばらくは安泰であることをありがたいと受け取っています。自分の子どもや孫や後の代にまで心が及んでいません。
<20~21節>
ヒゼキヤの業績としては、貯水池と水道を造ったことが記されています。これらはアッシリヤの攻撃に備えるためのものでした(Ⅱ歴代誌32:1~4)。
水の確保が城塞都市の生命線でした。そこでヒゼキヤは、従来の「上の池」(Ⅱ列王記18:17、イザヤ7:3)というギホンの泉から城壁内に引き込まれた水路の下に、「下の池」(イザヤ22:9)という水溝を取り込みました(シロアハの水 イザヤ8:6)。地面の上の水溝は敵に塞がれる危険があったので、下に新しくトンネルの水路を造ったのです(Ⅱ歴代誌32:30)。
彼が死ぬと、その子マナセが代わってユダ国の王となりました。
(まとめ)
ヒゼキヤ王は後半には、主より自分の思いを先立ててバビロンに頼ろうとして、やがて災いを招きました。けれども死を宣告された時には、ひたすら主に祈り、主に泣き叫びました。
主はこのような祈りを聞いてくださる方です。私たちの涙を見てあわれんでくださる主です。特にヒゼキヤの場合は、まだ地上で南ユダ国の王としての使命が残っていました。
むしろヒゼキヤは、この病を通して神の奇跡を体験し、彼とイスラエルへの神のご計画を明確に示されています。いのちも主の御手にあることを知って、主への再献身を迫られたことでしょう。
私たちは、自分の力では太刀打ちできないことに直面して弱くされ、主から与えられているものにあらためて感謝します。そして、何のために生かされているか、主のご計画がどのようなものであるかをはっきりとされるのです。
ですからどんなことがあっても、安心して主に祈り泣き叫んでいきましょう。すべてのことには意味があります。災いと思える出来事も、神は益とされます。
祈ると同時に、主のご計画は何であるのか、主のことばをしっかりと聞いていきましょう。