「政略結婚がもたらす悲劇」  列王記第2 8章16~29



<16~18節>

 イスラエルが北と南に分裂していた時代のことです。北イスラエルではアハブ王の子ヨラムの治世5年目に、南ユダではヨシャパテ王の子ヨラムが王になりました。どちらも同じ「ヨラム」という名前です。

 18節の「彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ…彼は主の目の前に悪を行った」という「彼」は、南ユダの王ヨシャパテの子ヨラムのことです。このヨラムが、北イスラエルで徹底した偶像政策を断行し、主の目の前に悪の限りを行ったアハブ(Ⅰ列王記16:29~33)の家の者のように歩んだのです。  


 彼の父ヨシャパテは、その父アサ王同様に、主の目にかなうことを行った王です。ヨシャパテは、南ユダで、つかさたちを遣わして主の律法を人々に教え、主への礼拝を促進し、レビ人と祭司からなる最高裁判所を置きました。彼による宗教改革と社会改革で、国は強力になっていきました(Ⅱ歴代誌17:1~10、19:3~11)。

 彼は、対立していた北イスラエルとも和解し、アハブ王の娘アタルヤを息子ヨラムの妻とすることで、その関係を強固にしようとします。このことが後に、息子ヨラムの時代における南ユダの堕落の一原因ともなっていきます。  

 息子ヨラムがアハブの家の道を歩んだ理由として、「アハブの娘が彼の妻であったからである」と、はっきり記されています。

 確かに、ヨシャパテは南ユダにおいて礼拝を重んじ、民たちを生ける神に立ち返らせ、主なる神中心の国づくりをしたことにおいて、主の目にかなっていました。

 けれども、逆に北イスラエルに引きずられていく傾向もありました。特に息子ヨラムをアハブの娘アタルヤと政略結婚させてまでイスラエルとの関係をよくしようとしたことで、ヨラムの時代に主の目の前に悪を行わせることになります。

 恐らくヨシャパテの子ヨラムは、アハブの娘アタルヤと結婚し、彼女の信じていた偶像の神を拝むようになっていたのでしょう(アタルヤの母は恐らくバアルの信奉者イゼベルでしょう)。ヨラムは、偶像に仕えただけでなく、善良な兄弟たちをも残らず殺害しています(Ⅱ列王記21章)。


結婚が与える影響の大きさをここに見ます。

 人類最初の夫婦でも、女性が先に蛇にそそのかされて禁断の木の実を食べ、夫にも食べるように誘惑しました。女性は女性で、エバの末としての傾向を受け継いでいることを認める必要があるでしょう。

 また、妻の罪に引きずられる男性にも問題があります。ヨラムも、たとえ妻が偶像を信じていても、「私は主なる神に仕える」ということもできたでしょう(ヨラム自身がもともと曖昧な信仰だったとも考えられます)。

 アダムも、エバが誘惑してきても、「その木の実だけは神が食べてはいけないとおっしゃった」と、拒否することもできたのです。でもそうできない男の弱さをも聖書は赤裸々に記しているのです(だからといって、それでよいと聖書が語っているわけではありません)。

 いずれにせよ、アハブの娘アタルヤがヨラムの妻となったことで、ヨラム自身も偶像に心を引きずられ、主の目の前に悪を行っていくことになりました。


<19節>

 本来なら、ヨラムの罪ゆえに南ユダは滅ぼされても当然でしたが、主はそのしもべダビデとの約束(Ⅱサムエル7:11~16)に免じて、この時ユダを滅ぼすことはなさいませんでした。 時代を経ても、神はその約束を守ってくださるのです。ここに神の真実と深いあわれみを見ることができます。


<20~23節>

 エドムはダビデの時以来、ユダの王が任命する総督によって治められていました(Ⅱサムエル8:14)。しかし、ヨシャパテの子ヨラムが王になった時に、ユダから独立しようとしました。ユダはエドムの反乱軍を鎮圧しましたが、それでも実質上エドムは独立しました。  


<24節>

 ヨラム王は、最期は主がその内臓を打たれ、人々から愛されることもなく、世を去ります(Ⅱ歴代誌21:18~20)。神を信頼せず、また人々をも信頼しなかったヨラム王の最期は、とても孤独なものでした。


<25~29節>

 南ユダのヨラム王が死んで、彼の子アハズヤが王になります。

 彼の母(ヨラムの妻)はアハブ(オムリの息子)の娘アタルヤです。オムリも、アハブも、主の目の前に悪を行った王です。そしてヨラムとアタルヤの息子であるアハズヤも、アハブの家の道に歩むことになります。

 南ユダの王でありながら、南ユダの王であったヨシャパテ(あるいはアサ)のように主の道を歩むことなく、残念ながら北イスラエルのように主の目の前に悪を行う道を歩むことになるのです。「彼自身アハブ家の婿になっていたからである」(27節)と、ヨラムとアタルヤの結婚による悪影響が代々続くことになります。  

 北イスラエルの王アハブの子ヨラムとアハズヤは親戚になり、共にアラムと戦います。その戦いで、北イスラエルのヨラム王は傷を負い、アハズヤはイズレエルにある宮殿に、ヨラム王を見舞いに行きます。南北の国がいっしょに力をあわせてアラムと戦いますが、それは主に仕えるためではなく、アハブ家の道を歩むためでした。  


 イスラエルが南北に分裂して、北イスラエルは、ソロモンの家来であったヤロブアムが王になった頃から、オムリ、アハブと偶像に仕え、主の目の前に悪を行い続けました。

 一方、南ユダはアサ王やヨシャパテ王のように主に仕え、宗教改革を行った王たちもいたのです。

 けれども結局、南ユダ国ヨシャパテの子ヨラムと、北イスラエル国アハブ王の娘アタルヤとの政略結婚を機に、南ユダも偶像に仕え、主の目の前に悪を行う方向にいきます。  

 ヨシャパテ王も、北イスラエルと和解するのはよかったのですが、子どもたち同志を結婚させることがどのような影響を与えるかを考えて慎重にすべきでした。そして、北イスラエルの偶像政策に対しては、適度な距離をとり、自分たちは主に仕える者であることを曖昧にせず、はっきりとした態度をとるべきであったのでしょう。

 人間的な優しさや情で関わることは、必ずしもよい結果にならないことを、聖書は示しています。 親しくなること、困っている人を助けることは良いことですが、そこにも神の知恵と祈りが必要です。主にある関わり方、交わりの仕方が、それぞれにあるのです。

 人間的な判断、優しさを基準にするのではなく、どこまでも神にみこころを尋ね求めましょう。 完璧な生き方など誰もできず、私たちはすぐに間違う者ですが、間違ったら主がまた戻してくださいます。

 神の約束は、私たちの不完全さを超えています。み言葉の真実とあわれみも変わらないのです。

 その信頼を持ちつつ、様々な人との関わり方について、主に絶えず祈りつつ聞いてまいりましょう。

ページの先頭に戻る