3章1〜7節
3:1 「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」ということばは真実です。 3:2 ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、 3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、 3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。 3:5 「「自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。「「 3:6 また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。 3:7 また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。 |
この書簡は、パウロがエペソを去ってから、テモテへ宛てた手紙です。牧会者向けに書かれている手紙ですが、セルグループと言えども、小教会の様なものです。皆さんはそれに仕える一人一人ですから、自分自身への手紙だと受けとって読んで下さい。
1章 パウロ自身の証
2章 リーダーへ…とりなしの祈りを教会の中の人→男へ…祈りの勧め 女へ…上に立つより、従う心でと勧められそれらは創造の秩序を元にしての勧めで、その秩序を受け取れるかどうかが、問われています。
3章 教会の監督、執事について、どのような人が相応しいか。*教会の監督とは…使途20:28で言われている監督のことで、聖霊が神のたてられた教会を牧するために、たてられた人達で、長老の様な働きをする人(若い人も含む)、教会の牧会をする人のこと。
* 彼らの職務は・・… 第T テモテ2章―3章から推察すると
2章から (1)礼拝を司ること。
2章3節から(2)旅人をもてなすこと。(巡回伝道等を)
2章3節から(3)教えること。
3章3節から(4)金銭を扱うこと。
3章5節から(5)教会を治めること。
3章7節から(6)教会の代表=顔の役目をする。
どうしてこのようにパウロが言及しているのか、単純な見方をすると、テモテに託されたエペソ教会は、以前から制度化、組織化されていて、監督は誰でもなれるものではなかった。しかし少し違った見方をすると、(複雑な要素があったのかもしれないが) 5:17や19の表現から推して、監督にクレームを付ける人がいたのではないか、と思われる。責任のある立場の人は、一般の人より苦情を言われたり、要求度も高い。
リーダーの仕事のほとんどは、それら(苦情)を聞いて、調整していくこである。そのような事は私の意に添わないと思う人もそれが自分の使命、役割だと認め、受けとめて聞いていくと→自分個人への苦情の場合には、砕かれて、反省していくことで、霊的成長になっていく。片や他の人の事でも、そんな見方をしたり、傷つく人もいるのかと勉強になる。(誤解されている事は説明し、説いていく) 苦情には個人やグループや教会に対しての事等々、様々だが、
・ 建設的な苦情や訴えは宝石のようなもの。
・逆に嫉や恨みが元になっていることもある。
自分がやればもっとうまくいったのに…との意志が働いての苦情もある。この時は御言によって、対処していくように…とパウロが言っている。エペソ教会でもそれがあったらしい。監督とはこういうもの、厳しいものなのだよ。とあえてパウロが言おうとしているのかもしれません。
以上のような背景があったと言うかのうせいも踏まえて、襟を正して聞いて行きたい。
3章1節「監督の職に付きたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求める事である」ということばは真実です。……監督という役職はすばらしいというのではなく、仕事の内容、働き、神様に仕えていくことがすばらしいと言っているのです。
…7月発足した執事会選出の折りも、このみことばを念頭においていた。…
* どんな人が適任か
3章2節・非難されるところのない人…5:7そしりを受けることのないようにと 6:14は同じことば。
・ 一人の妻の夫…結婚以外の性的不品行をさしてのことば。
・ 自分を制し…欲望に流されずに摂生できる人。
・ 慎み深く…思慮深く、分別があり、自分をよくわきまえている人。
・ 品位がある…取り乱したりしない。
・ (旅人等を)よくもてなす人…当時の教会の福音伝道は巡回伝道者が多かったので。
・ 教える能力のある人…福音をよく理解し、勧められる人。たえず繰り返し語る事が出来る人。
3章3節・人物の平和さ、温和さが特徴つけて要求されている。…酒に溺れず、暴力をふるわず、温和で、争わず金銭に無欲…マタイ6:24神と富に仕えることはできない。 マタイ6:33まず第一に神の国と神の義を求めよと マタイ13:15金銭を愛する生活をしてはならないと
3章4節・教会を指導し、治めることの出来る人…5:17と同じ意味で、家庭を治める事と、教会を治めることは同等、充分な威厳をもって子供を従わせている人。
3章5節・家庭をよく治めている人。…家庭は社会の最小単位である。
3章6節・信者になったばかりの人は駄目…初めの熱心が先走ってしまい、信仰による試練の経験がまだ浅く、責任ある奉仕につくと古いクリスチャンの言動を批判したりして高慢の罪に陥りやすい。この時期は、デポーションをしたり、みことばをじっくり学ぶことが必要。信仰にあって色々なことを習得し、訓練していく。リーダーはこのことを特に配慮してほしい。
3章7節・教会外の人にも評判の良い人…教会に初めて来る時は、どんなに評判の悪い人でもかまわないが、責任ある立場には、教会の徳を高めないような人は、避けたほうがよい。教会運営云々の次元の問題ではなく、その人も、教会もそしりを受けて、サタンの罠に陥りやすい。
ここまで読んできて、ああ 元気になってきたと思える人は、おそらくいないでしょう。この役割は自分にはふさわしくないと思いつつ、知りつつも、監督(執事)という職務を大切なこととして、神の前に立って、(キリストに)従おうとしているかどうか、こういう歩みをしているかどうかを、聖書は問うているのです。感謝、感謝とうわべだけ、見せ掛けだけの信仰ではなく、たえず、たえず自分を吟味していく信仰の歩みをしていきたいものです。