3章8〜11節
3:8 執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、 3:9 きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。 3:10 まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。 3:11 婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。 |
3章の前半は、監督について学びましたが、今回は執事について学びましょう。
* 教会の執事とは…しもべという意味 教会における補助的な奉仕者。新共同訳聖書では、執事ではなく奉仕者となっている。
* 執事の職務………教会堂や財政の管理、貧しい教会員の方の世話、家庭訪問、教会員の相談を受けたり、その他監督の補助、一切の奉仕まかされている。
* 執事にはどんな人が求められているのか…執事も又監督と同じような人が求められている教会の執事会同様、セルリーダーにも該当することとして聞いてほしい。
* 3章8節
(1)謹厳:尊敬にあたいする人
(2)生活上の自制力が問われている。
会話:2枚舌を使わず(人によって言葉の使い分けをしない) 舌は人を自分に引き付ける手段や蹴落とすために使わやすく、あざむきの道具となりやすいことに、気付いている人。
酒 :酒に飲まれてしまわない人→罪につながる危険がある……酒に酔わないで、御霊に酔いなさい……
金銭:不正な利を貧らない人、無欲な人→献金や教会財政を扱う機会が多いので。
* 9節
(3)きよい良心をもち…1:5・1:8と繰り返し出てくる。 信仰の奥義を保っている人……(監督は福音を伝えられる人とあるが) :執事は信仰の奥義が自分のものとなっていて、奥義 を保っている人。イエスの十字架が自分のもなっている人=教会の中でも、たくさんの人と接する機会が多いので、確りつした信仰が求められている。
* 選出方法 10節
(4)審査をうけ、非難されない人を=監督も執事も思い付き選出はいけない。と(当時そんな審査組織があったか否かは不明瞭だが)パウロは言っています。久遠教会でも、以前あった献身者審議委員会の再考をとの、声もある。特別に伝道や牧会のために、神様から召されている人がいます。それは決っして自己推薦や一部の人だけの意見でなるのではありません。牧師や監督、執事になる基準は聖書にあり、必ず審査があります。(たとえ本人が神様から示されたと申し出ても)自己推薦者を主は選ばれない。 第2コリント10:17〜18を必読
* 11節
当時女性執事もいた様だが、(新解約聖書別訳欄参照で)ここは執事の妻と訳す方が自然に聞こえますので、それを前提にして話しますが牧師や役員の妻が、プレッシャーを感じたり、あるいは教会を混乱させると言うケースを耳にしたりします。教会の責任ある立場の人は本人の事は当然祈りますが、その家族の事も祈っていく必要があります。執事の妻も監督や執事と同様に、要求されている事柄として、
@ 威厳があり=謹厳と同じ意。
A 悪口を言わず=教会破壊に繋がるから。
B 自分を制し、前回学んだ3:2でも言われている。
C 忠実に仕えていくことを大切に感じている人。
* 12節
道徳的に一人の妻の夫で、子供と家庭をよく治める人。(神様から与えられている家庭によく仕え又教会にも仕える人)
* 13節
霊的な表現ですが、責任ある立場に立つことによって得る事柄。良い地歩を占め(キリスト・イエスを信じる信仰によって成長し)強い確信を得ること(〃 〃 〃 確信を得る)ができる。執事の務めに限らず、神から与えられた事を忠実に果たす事によって、私達の信仰の成長とキリストへの信頼を増すことへと、つながっていく。またこんな役になるとあゝ大変だ、やめようではなく自分の足りない弱さを認めながら、神様に助けていただきながら、やっていくことが、なによりも信仰成長の出来事となるのです。
* 14節
パウロはテモテの所へ行きたいと願っているが、仮にそれが遅れても、また行けなくなったとしても大丈夫なように、この手紙(テモテ書)を書いています。
* 15節
神の家である教会で、あなたがどのように行動すべきかを知っておくためです。即ち私達が教会の中で、なにを大切にして行動していけば良いのかが、このテモテ書を読めば解りますよ、なにか問題が起きた時、対処方法のヒントがこの書にありますよ、とパウロを通しての神様の思いが伝わってきます。
教会は真理の柱、また土台です=神の真理を言葉と行いによって人々に掲示していく使命を担っています。その真理(重要な奥義)とは16節のキリストは肉において現れ、霊において義と宣言されとあるように、キリストをとうして、罪びとが義と宣言される、救いの一方的な恵みを…人々に伝えていくことです。この奥義に根ざして歩んでいくと私達が人とどう接すべきかが解ってくるのです。キリスト以外のことを土台にするから迷ったり、悩んだりするのです。
2回に分けて監督と執事についてどう選んだら良いのかを、学んできましたが、この時代でも教会の責任ある立場の人を選ぶ時は、厳しく審査をして選んだと書かれています。
現在でも、霊的役割を担う人(礼拝や教育に携わる人や、セル・リーダーも含め)はそれに相応しいかどうかの審査を受けて就き、決して持ち回りでやるようなことがあってはならないと思います。教会は神様と出会うところです。なにか奉仕をしないとと、思う人もいるようですが、それは違います。
リーダーの方々は立場上、何かの役割を人に頼む機会も多いと思いますが、その役割がその人に相応しいかどうかをよく吟味する必要があると思います。
迷ったりしたときには、何人かの人と相談してください。それはその人、個人の問題ではなく教会の問題ですから。奉仕者を選ぶ時は、よく吟味し、祈りを持って選んで下さい。
質問
1 なにかをすることにより、神礼拝が生活の中で、最優先となっていますか。
2 神の家=教会で、どのように行動するか、今神様から示され、教えられている事がありますか。
3 今日のみことばの中で、自分の弱いところ、気をつけなければならないところはどこでしょうか。