4章1〜9節
4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、 4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。 4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。 4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。 4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。 4:7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。 4:8 肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。 4:9 このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。 |
第1 テモテ 4章1〜9節
今回の学び4章は偽りの教えに対する警告です。
1節「後の時代」とはずっと先の時代の事ではなく、もっと差し迫った今の時代も含めてのこと。その「後の時代」には、惑わす霊、悪霊の教えがはびこって来る(福音のようで福音でなく、我こそはキリストだと言う人があらわれ、選民をも惑わそうとする)とイエスご自身もマタイ24:4〜5節・24節で預言し、パウロもテモテに伝えています。
2〜3節 当時「物質は(肉体、食物も)悪」で「霊・魂は善」という考え方があり、その肉体による結婚も悪という考えからそれを禁じたり、物質である食物を食べる事を断つようにと命じたりするものがいました。彼らは良心が麻痺しているのであって、そんな教えは聖書にはありません。
4〜5節 禁欲主義的な考えはいつの時代にも言われたりしますが、創世記1章では神がすべてよしとして創って下さった食物を感謝していただくように、結婚も神が制定された事でこれも受けていくようにと告げています。まれに誤った教えに惑わされる人もいたようなので、そのためにも聖書をよく読み、祈る事が勧められています。
当時も今私達がしている食前の祈りのような事がされていたようです。与えられて当然ではなく、どれもこれも神が与えて下さったと感謝していただく。食べたくても健康上の理由で食べられない人もいます。結婚もしかり、又他の人の環境を羨むのではなく、神が私に与えて下さったことと感謝し、神の視点で受け取る信仰、そうしていくと、すべてが聖められ、恵みのできごとになっていきます。
最近、聖霊派の先生方からも聖書通読のすすめをよく聞くようになりました。聖書をよく読み、聖書全体から何を言おうとしているのか、つかむ必要があります。聖書通読をしていると、部分解釈の誤りにもすぐ気付きます。聖句主義になるとバランスを欠きやすくなります。聖書の一句(一部分)だけを強調していくと段々ずれていき、異端の教えになる危険性があります。聖書は神様からのラブレターです。手紙は全体を通して読み判断をしなければ何を言っているのか解りません。
6節 奉仕者とは、犠牲を払って仕える者と言う意味合いがあります。キリストに仕える奉仕は``恵み``が優先されますが、同時に``犠牲``を伴います。時間、労力、経済、人からの誤解や反発…神様からの恵みをはっきり理解し受け取っていないと、なんでこんな割りにあわないことを自分がしなければならないのかと、不平、不満が出てきます。奉仕をする者は、神の十字架の恵みをよく理解し、受け取り、経験している者でなければ必ずどこかで行き詰まります。もし私達が人に仕えていたならば、その人に絶望したら仕えられなくなるでしょう。一人一人が「人」ではなく「キリスト」の奉仕者を目指して歩んでいきたいものです。
10/14有賀先生も(メッセージ中で)言われていましたが、「クリスチャンが真のキリストの弟子になること」が大切だと、また今世界中でも強調されています。
☆ キリストの弟子になるためには何をすべきか、私に与えられているキリストの使命は何か、これは聖書に問うていく必要があります。
特にリーダーの方々には、デボーションで「日々の聖句」だけに甘んじることなく毎日聖書通読もこなし、自分の使命を、神様に食い入るように問い続けて頂きたいです。私達クリスチャンは、み言葉によって養われている者です。養われた者は、又他の人、新しいクリスチャンに、教え、分かちあっていくことで、りっぱなキリストの奉仕者になるのだとパウロは言っています。
☆ リーダーは又新しいリーダーを生み出していき、自分が養われてきた過程を、次の人に分かちあっていきます。ただみ言葉と主がして下さった事を伝えていき後は聖霊様にやっていだくのです。
7節 ここは、「俗悪な年寄女」ではなく、「空想話」の方を強調するために、このような表現を使ったようです。いかにも信仰的な話のようでありながら、信仰からどこかずれている、聖書の教えとは違っている話に巻き込まれないようにし、むしろ自分の敬虔(信仰)のために、鍛錬(訓練)しなさいといっています。テモテ即ちリーダーは自分で自分を、信仰の訓練をするように勧めています。
8節 一般によく使われている格言ではないかと思われます。ギリシャ人が運動による肉体の鍛錬をすすめるのに対して、哲学者は哲学の有益さを強調した格言です。パウロはこの「哲学」の部分を「敬虔」に置き換えています。「肉体の鍛錬」も大切ですが、永遠のいのちに関わる信仰のほうが、もっと有益です。そして信仰の鍛錬を勧めています。
☆ 信仰の鍛錬はどうやってするのですか
有賀師<弟子の成長>から
@ 聖書をよく読むこと→聖書通読
A 祈ること→感謝・悔い改め・信仰告白・とりなし・賛美
B 教会に繋がること→交わりのなかで成長していく(自己訓練も含め)
「終わりの時代」には色々な出来事が起こってきます。その時一時的には戸惑うかもしれないが、常に自己鍛錬(訓練)していると、その対処法を神様から教えられます。
又「これらの事を兄弟達に教えるなら、りっぱなキリストの奉仕者になる」と私達が自己訓練によりキリストから与えられた恵みを積極的に分かちあって、真のキリストの弟子に、奉仕者にしていただけるように、神様に願っていきたいものです。
質問
(1) 自分でどのように信仰の鍛錬をしていきますか。
(2) キリストの弟子(奉仕者)として、今何をしていくようにと、神様に迫られていますか。
…祈りやデボーションのなかでさぐってみてください。…