1章1節〜5節
1:1 神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、 1:2 愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。 1:3 私は、夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こしては、先祖以来きよい良心をもって仕えている神に感謝しています。 1:4 私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。 1:5 私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。 |
第Tテモテの学びが終わりましたので、引き続き第Uテモテを学んでいきます。
第Uテモテ書が書かれたのは、紀元67年頃で(第Tテモテ書は63年頃、パウロが1回目の補囚から釈放されて各地を回って伝道している頃に書かれたとされている)再び捕らえられ、そのローマの獄中にて書かれたものでパウロ自信、自分の最後をかなり意識しての書簡と言われています。
歴史家の「エウセビオス」によるとパウロは68年に処刑されたと言われているので、その直前に書かれたようです。
・書かれた目的は
1 にせ教師の多い中にいて、伝道している若いテモテを励ますため(第Tテモテ書と同じ)
2 テモテに次の世代(後継者)を育てるようにと進言のため。
3 テモテへの個人的な依頼のため(かなり、最後を意識しているのかもしれません)
4 最後に個人的な交わりを持ちたいと願っている。
* そして随所に牧会・伝道のための諸忠告が述べられています。
1節〜2節
パウロは手紙の中でよく「神の御心によりキリスト・イエスの使徒となって」と言う表現を使っています。ダマスコ途上の出来事も、神の一方的な召しによってであり…その場面の様子が 使徒9章で述べられていますが、15〜16節では、主がパウロの事を「私の名のために苦しみを味わうために、選びの器になった」と言われています。
これが神の召し(選び)です。そこが又パウロの拠り所であり安心でもあったようです。神の選びにより、使徒となるのなら、その責任は神にあります。私達の教会内での役割もそうです。人を押し退けてなったのではなく、私の足りなさや、弱さを承知の上で、選ばれたのなら、責任は神が取って下さいます。
特に献身の時には、神からの召命が問われます。教会の霊的役割を担うものには必要条件であります。本人の希望より、神の召しがあるかないかが問われます。
テモテの牧会奉仕も神の選びにより始まったことであり、「神の力強い守りがいつもあるよ」と、パウロからの励ましのニュアンスが(Uテモテは)他の書簡に比べ特に強いように思われます。
Tペテロ2章9節に「あなたがたは選ばれた民であり、それはキリスト・イエスのすばらしいみわざを宣べ伝えるためである」とあり、パウロからの手紙は私達全てに当てはまる言葉として聞いていきたいと思います。
3節〜4節
私は…夜昼祈る…思い起こしては祈り、祈っては思い起こし、絶えず祈りを繰り返させて下さる神に感謝すると…私達も教会に仕える者として(リーダは特に)、相手を助けてあげるると言うのではなく、相手から学び、その交わりに出て私も恵まれたいと、仕えていく態度を持ち続けたいものです。
“あなたの涙を覚えている“…この涙は、別れの際の悲しみの涙ではなく、使徒20章19節では“涙を持って主に仕えた“とあるように、キリストのために苦しむ目的で選びの器としたと言われたパウロ同様その同労者として苦しむテモテの流す涙を思い起こし、会って共に祈り、励まし合い、恵まれたいと そんな願望のような切々たる表現のようです。
5節
3節の「先祖…」はモーセやダビデのことではなく、親・祖父母といった代々のことです。5節では、テモテの信仰は祖母ロイスから母ユニケへと伝えられたことが記され ています。パウロは書簡中で福音の継承、広がりをたえず言っています。信仰は引き継いで行く、この視点を忘れないようにしたいし、時代を越えて、この福音の継承を、広がりを意識し願っていきたいものです。
質 問
1 皆さんが今与えられている役割りを神の御心として、受け取っていますか。
2 交わりのあり方をもう一度、点検してみてください。
(リーダーだからと、高いところにいず、自分も恵まれていくんだと言う視点にいますか)
3 家庭や、教会においての信仰の継承について、どう考えていったらいいでしょうか。