2章24節〜26節
2:24 主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、 2:25 反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。 2:26 それで悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう。 |
24節
「主のしもべ」とは、苦難のしもべ、イエス・キリストを思い出させる表現です(イザヤ53章)。キリストが争う方向ではなく神に従い、仕えるしもべとなられたように、私たちも主のしもべとして、すべての人に優しくすること、よく教えること(丁寧に相手にわかるように)、忍ぶこと(反対者に対して忍耐する)を大切にしていきましょう。
25節
「柔和な心で」(イライラしてでなく、ぶっきらぼうにでもなく)、「訓戒しなさい」(福音から逸脱した者が真理を悟るように)。でもそのようにしたら、必ず悔い改めたり真理を悟るとは限りません。「もしかすると」なのです。柔和な心で訓戒しても、もしかしたら
真理を悟るかもしれないし、悟らないかもしれないのです。
26節
でももし悔い改めて真理を悟るなら、悪魔に翻弄されていた人が目覚めて、その罠を逃れることになるのです。これは大きな喜びです。しかしこれも「こともあるでしょう」と、必ずしもそうなるとは限らないのです。人が悔い改めて真理を悟るか否かは、神の御手にあることで、主のしもべはただ使命を果たすだけです。その結果は神に任せて、主がするように言われていることをしもべはするだけなのです。結果がどうであれ、私たち自身が主のしもべであることが大事です。そして淡々と主から託されたことをしていくだけです。