2章9節〜10節


2:9 私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。
2:10 ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。


 パウロは、旧約聖書の預言どおりにダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリスト(8節)を伝えるために、今牢獄に囚われています。パウロはまるで犯罪者のように鎖につながれていますが、でも「神のことばはつながれていない」(9節)のです。人間パウロは牢にいても、神のことばで生きている人たちを通して、神の言葉はドンドン広がっているのです。

 パウロは、このような迫害の中で苦しみの中にいますが、「選ばれた人」、即ちまだキリストを信じていないけど、やがて救われ永遠のいのちを受ける人がたくさんいることを思うと、耐え忍ぶことが出来ました。救いのためなら、何を犠牲にしても惜しくないとパウロには思えたのでしょう。自分が囚われていても、神の言葉はつながれておらず、救いを人々にもたらしていく希望が、パウロを支えていました。

 恵みによる救いを受けたものは、またこのイエスにある救いを他の人々にも知ってほしい、そして同じ救いの恵みに預かってほしいと願うようになりす。

「キリスト・イエスにある救いと、とこしえの栄光を受ける」という希望があればこそ、一人の魂のために時間と労力をかけたり、ある時は嫌味や反発を受けながらも、その人のために祈りを続けることができるのです。魂に仕える方向に向かっていく時に、さらに自分に与えられている救いの大きさを改めて知ることが出来ます。

 私たちは、キリストの十字架によって驚くべき恵みを一方的にいただいています。その恵みによって、また滅びにむかっている魂のために仕えていきましょう。



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