3章1節〜5節


3:1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
3:2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
3:3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
3:4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
3:5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。


パウロたちの時代に、再臨はすぐにもくるようにクリスチャンは思っていた。いつの時代も今が終わりの時代であることを意識しているのがクリスチャンです。終わりの日には困難な時代がやってきます。主のしもべは皆直面する困難です。

終わりの日に出てくる者として、「自分を愛する者」「金を愛する者」「神より快楽を愛する者」(2,4節)が挙げられています。愛の対象が神であるべきなのに、自分・金・快楽が神に代わってしまうのです。自分を大切にすることや、お金をたいせつにすること、また楽しみをもつことは悪いことではありません。問題はそれらが神に代わってしまうことです。

また「感謝すること」(2節)や「和解すること」(3節)を大切なことと思わない人々が出てきます。

そして「見えるところは敬虔であってもその実を否定する」(5節)人々も出てきます。

「実」とは、「力(デュナミス)」という語が使われています。神の名を用いながらも、神の力を信じないのです。だから人間中心、物質中心になり、神を愛し人を愛して生きることを軽んじていくのです。そういう人々といっしょになって、それが当然かのように染まってはいけないのです。人を基準にするのでなく、「あなたは神を見上げ、神を愛する生き方をしなさい」とパウロは警告します。ここに挙げられているリストは、常に私たちの中にも出てきます。それらがどうでもよいことかのように見なすのでなく、自分の中にあることに気づいたなら神に叫んで対処していただきましょう。

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