3章6節〜9節
3:6 こういう人々の中には、家々にはいり込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、 3:7 いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。 3:8 また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。 3:9 でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりのばあいのように、すべての人にはっきりわかるからです。 |
パウロが牧会するエペソの教会、またその周辺の諸教会において、復活の教理を否定するような教えを広める偽教師がいました。そして少なからずその教えに影響されていく人もいたようです。
6節
見えるところ敬虔でありながらも、その実(力)を否定している人たちの中には、陰険な方法で家々に忍び込み、精神的・人格的に弱い人々を虜にしていく人たちがいました。
彼らは、人間的な情で弱いものを惹きつけて人の奴隷にし、そして誤った教えの虜にしていったのです。
7節
教えが偽りなので、いくら学んでも救いに必要な真理に到達しません。好奇心や名声のために学んでいるので、「決して真理を知ることはできない」と強調しています。
8節
偽教師の姿を理解させるため、パウロは当時良く知られていた「ヤンネとヤンブレ」の名を出します。彼らの名前は、ユダヤ教の文献に度々出てきます。出エジプト記で、パロ王の前でモーセの奇跡に対抗したエジプトの魔術師たちです(出エジプト7:11)。彼らは、人間モーセに逆らったのではなく、モーセを遣わした神に逆らったのです。だから真理を悟ることはありませんでした。ヤンネとヤンブレのように、偽りの教えによってテモテの牧会を妨げている当時の偽教師たちも、真理に到達することはありませんでした。「腐った」という語は言語では受動態が使われ、その背後にサタンの働きがあることをパウロは意識していたようです。
9節
確かに彼らの教えは広がり、人々の信仰を覆しましたが(2:16〜18)、もうそれ以上には進めないとパウロは断言します。ヤンネとヤンブレの愚かさがやがて明白になったように、偽った教えを広めていた人たちの愚かさも「すべての人にはっきりわかる」と非常に強い語調で言われています。
真理に逆らうなら私たちは「信仰の失格者」(8節)になってしまいます。イエス様ご自身が常に真理です(ヨハネ14:6)。常に自分の思いや今までの経験をうしろにして、真理であられるイエス様に空っぽな心で聞いていかなければ、いつだって真理に逆らうことになりかねないのです。すべてを白紙にしてイエス様に聞いていくのでなければ、いくら学んでも真理には到達しません。自分だけが分からずに、まわりにははっきり分かるほどに愚かな道を歩んでしまうかもしれないのです。自分の強い願い、これまでの経験や知識も常に後ろにして、今真理であられるイエス様が語っておられることに従っていきましょう。