1991年、92年の歩み |
久遠基督教会五十年の歩み(25) |
1991年は「福音宣教開始の年」として明け、前年末に新しく選出された運営委員のメンバーが、牧師を助けて歩み出したのである。要望に応えて教会と牧師宅にファックスも設置され、ビデオ機器も備えられ兄弟方がそのために奉仕して下さり、今まで、カセットテープで送られていた聖日礼拝のテープがビデオに替わり、地方集会の兄姉は臨場感を味わうことができると非常に喜ばれたのである。
この年の秋には三浦先生と丹羽おいよ、工藤正太兄・知子姉と古賀弘敏兄が韓国に招かれ、新一教会(金聖恩長老)と滄川教会(朴善福長老)の諸集会に出席させていただき、まことに良き交流を与えられ感謝であった。
1992年1月26日には、石田和男先生が礼拝の御用をして下さった。石田先生が33年間牧会された目黒カベナント教会を辞され、岡山県津山市にて開拓伝道をなさることになったことによる。午後は有志の者たちでお別れの会を持たせて頂いた。
三浦真信伝道師が猿ヶ京に遣わされて3年が経過し、受洗者も起こされ、恵みの中で導かれていたが、この年、関東地区KGKの主事としての要請を受け、これを受けられた。これに伴い、この年、東京基督神学校卒業予定の冨田安基雄伝道師補が代わりに猿ヶ京キリスト教会に遣わされる事になり、3月22日に新旧交代式が行われた。5月には牧師補佐として伝道スタッフ11名がおかれた。次の諸兄である。和氣幸太郎、冨士野勉、冨田正造、古賀弘敏、工藤正太、菅佐知男、浅野行光、杉本善男、井上昭彦、三浦真信伝道師、冨田安基雄伝道師補(のちに高野敞兄などが加わる)。
10月第三の久遠教会の日には、三浦牧師よりイザヤ書51章3節を通して示されたビジョンとして「エデンの園計画」が提案され、10年計画で取り組む事になったのである。そしてこれまでは選挙により選出してきた運営委員のメンバーを各グループの推薦にし、今後の教会の進展に参画できる兄姉が立てられたのである。名称も「KD執事会」(K=Kuon、D=Dream〔夢〕及びDeacon〔執事〕)と改められ、任期も3年となった。メンバーは次の兄姉である。冨士野勉、冨田正造、上野稔高、浅野行光、井上昭彦、久田雄治、古賀弘敏、渡辺桂子、三浦富江、上野康子、久田恵美子、森岡陽子。それに三浦牧師、丹羽おいよ、オブザーバーとして渡辺欣、三浦真信伝道師、冨田安基雄伝道師補、地方集会の代表者が加わる(その後、冨田正造兄の広島転勤に伴い、森岡憲治兄が加わる)。
11月3日には、有賀喜一先生をお招きして信徒セミナーと伝道集会が持たれた。当教会の集会では初めての「招き」の時には、10数名が前に進み出て、祈りのとりなしを受けた。その中にはクリスマス受洗の決意をこの時さらにはっきりされた兄姉もおられ感謝であった。また11月29日には教会学校の教師たちその他により、初めて近くの公園で公園伝道がなされ、子どもたちのために紙芝居、人形劇、讃美などによる伝道が行われた。(続く)