聖霊の満たしを受けて 読者のご要望もあり、書籍「久遠基督教会五十年の歩み」よりの記事を随時掲載いたします。 これは1994年4月に刊行されたものです。 |
久遠基督教会五十年の歩み(6)
この頃の事、会員の一人から同郷の大学入学者の面倒をみてほしいとの依頼を受け、たっての願いでもあるし、私の仕事として二食賄い付きで引き受けたのであった。2階6畳一間を提供するために、丹羽は月曜大工をして勝手脇の納戸を改造し、一室をつくり娘たちの部屋としたのである。こうして大学生二人を禁酒、禁煙、集会出席の条件で世話をしたが、なかなかこれは守られず、いろいろ思うに任せない事もあった。後にまた一人親戚の学生も預かり、5年間は多忙な生活であったが、毎月確実に与えられる収入によって、借家であった家も月賦で購入でき、支えられた事を思うと感謝であった。
さて、このように導かれていたのだが、ある出来事を通して、二人とも心悩まされていたある日、それは1951年(昭和26年)6月25日、婦人会の終ったあと、丹羽は非常な疲れと虚しさ、足りなさを憶え、こんな筈はない、もっとイエス様の活ける生命の満たしにあずかりたいと、夜の更けるまで心注ぎ出して祈っておったところ、俄然、上よりの圧倒的な迫りをうけ、一大転換を与えられたのであった。
「昭和26年6月25日(月)。日曜日の疲労か、午後の婦人会の後で疲労を感じ、夜、皆の就寝後10時45分頃より、一人祈る。切に御霊を求めて祈った。そしてこの時、異言にて祈る体験を与えられる。大きな感動が全身に漲り圧倒された。止め度なく口をついて出る不思議な言葉と身体の霊動の中に約1時間を過す。聖書に記されている異言を、身を以って経験せしめられて喜びに溢れる。御霊の内在を深く実感した。平安が全身にみなぎり、御霊の御愛がひしひしと身にしみて感ぜられた。かつてより、自らに足らざるものあるを感じ、切に求めて来たものに触れしめられた思いである。今その入口に立たしめられて我が心は望みに踊っている。」(日記より抜粋、原文のまま)
この夜の出来事は、丹羽の伝道生涯にとって特筆すべき事となった。ここらか新しい聖霊の満たしによる歩み出しが始まり、今までまだ不自由さを感じていた御言葉の説き明かしも楽にされ、喜びに満たされる日々が展開されたのである。
しかし、この出来事に対して多くの者は、戸惑いを憶え、特に初歩から導かれ、結婚も与えられた3家庭、その他数名の兄姉は、どうしても共に歩み得ないとして、次々に群れを離れ、無教会の塚本虎二先生、矢内原忠雄先生、その他の集会へと移って行ったのであった。このことはまことに情としては忍び難いことであった。
また、私もなかなかついていけず、この事は丹羽の心を憂いしめていたが、愛なる主は忍耐とご愛をもって、遂にかかる魂をもとらえてくださったのである。主の御名はほむべきかな。こうして丹羽は自ら体験したこの著しい聖霊の賜物は否定のできない事実であると、生涯証し続けたのである。