キリストに出会った証 久田雄治兄
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」(詩篇103篇1〜5節)
私は1944年(昭和19年)12月15日、父・文彦、母・美代子の次男として世田谷の三軒茶屋に生まれました。
兄の昭彦、姉の美紀子の三人兄弟です。
現在、介護保険証を受け取る65歳になりました。
翌1945年5月に父がフィリピンのミンダナオ島カリナン陸軍病院でマラリアのため31歳の若さで戦病死し、10月に姉が疎開先の陶器の街で知られる栃木県益子で百日咳のため2歳で亡くなりました。
その後、養子話が起こり、一度は母が子ども二人を連れて大阪の伯父の家に逃げましたが、兄は家族会議で小学校に上がる7歳の時に、父方の三軒茶屋の伯父の家に子どもができなかったので、久田家を継ぐため養子に出されました。
正月などに私たちが伺うと、兄の様子が変わるというので、出入り差し止めになるなど、どんなにか母は断腸の思いであったか、兄は哀しい想いを抱いて成長したかと思わされます。
そんな伯父夫婦がのちにクリスチャンになったことは、私にとって本当に慰めとなりました。
私は母と浦和の母方の伯父宅の離れに住み、聖公会の幼稚園に通い、クリスマスの記憶もはっきりとあります。
今にして思えば、幼稚園の先生方にキリストの救いを祈られて成長したといえます。
浦和に小学校まで住み、北浦和に転居して中学、高校と通いました。
父を戦争のために亡くし一家離散したので、戦争に対する無念の想いは募るばかりでした。
高校2年の時、60年安保闘争(今年で50周年)の6月15日の国会突入のラジオ放送を深夜まで興奮して聞いていました。
高校卒業後、2年浪人して早稲田大学東洋哲学科に入学しました。
西洋哲学にテレビタレントのタモリ、先輩に芥川賞作家の辺見庸、西洋史に女優の吉永小百合が入学して大きな話題になりました。
入学後、すぐに学費学館闘争や日韓闘争などの学生運動に参加しました。
社会主義の無神論者となりクラスのクリスチャンを迫害するようになりましたが、運動がエスカレートして、親しい友が殺されたり、想い悩んで自死したり、心を患っていく悲惨な現実を目の当たりにして、私自身、人生に絶望し、虚無感に襲われ、平和の理想に燃えていたはずの学生運動は挫折し、親鸞の卒論を残して大学を中退しました。
このため、編集者を養成するエディタースクールを卒業し、友人の引越しの手伝いで知り合った恵美子と結婚に導かれたので、親たちを安心させるため、ある出版社
編集部に勤めました。
恵美子は学生だったので、大学近くのパン屋の2階六畳一間、 共同炊事、共同トイレの部屋を借り、銭湯に通うという新婚生活が始まりました。恵美子が当時を振り返って、まるで南こうせつが歌った「神田川」の世界だったと言います。
しかし、2年もたたないうちに、会社でベースアップのトラブルが起こり、肝臓を患ったこともあり、仕事を辞めて失業しました。
そのため、恵美子や親たちは大変に心配していました。
1971年9月、朝日新聞社出版局の経験者採用試験を受けて入社。
5年後、大阪に週刊朝日やアサヒグラフなどの記者として転勤しました。
しばらくして西宮市夙川の 社宅の隣の部屋に、朝日新聞社の大泉寮で三浦真照・富江さんと一緒だったクリスチャンの奥さんがご主人の転勤で来ました。
この奥さんの紹介で、高校時代に受洗したものの教会から離れていた恵美子が、久遠教会の奈良集会(山田泰三・生子さん宅)に導かれました。
間もなく、東京に戻ってからは、恵美子と子どもたちが久遠教会に 熱心に通い始めました。
私も「エホバの証人」など怪しげなものでは困ると教会に様子を見に行くうちに、丹羽e之牧師のメッセージ・テープを聴いたり、本を読むようになりました。
こうして、自分の存在そのものが神から離れた的外れな罪人であり、キリストの十字架の血潮で罪を赦されることを知りました。
しかしその当時、一つだけ私が信仰に踏み出せない点がありました。
それは復活の出来事です。
この悩み、苦しみ、痛み、悲しみ、疲れ、病をもつ肉体の延長で復活のことを考える限界をもっていました。
ところが、神様は「復活がわからない」という私の呟きも聞いて下さり、夢の中ではっきりと、この肉体でなく復活の体(天のかたち)で永遠のいのちを与えると教え、聖霊で満たして下さいました。
目覚めてからは、その日は一日中疲れを知らず、喜びに満ち溢れていました。
それからは、毎日のみことばが、神様からの私に対する救いの呼びかけであると確信を与えられ、キリストにある自由で解放された信仰生活を送るように、次第に聖霊とみことばによって導かれてきました。
1982年4月のイースター(復活節)の日、聖書に書かれている通り、はっきりとキリストの十字架、復活、再臨の出来事を受け取り、朝日新聞を45歳の選択定年で辞めて神学校を終えて牧師に就任していた、三浦真照牧師から受洗しました。
木下隼人さんが同期です。
また、長女の裕香は大学、長男の高裕は高校、次女の恵は小学校で 受洗し、さらに恵美子の母・山本照子は「久田さんがクリスチャンになったら、私も考える」と言っていましたが、近くに住む牧師夫人の導きで受洗し、母と同居していた松下喜久治伯父も病床洗礼に導かれ、最後に「次は、私が信じる番ね」と言っていた母も体調を崩したあと病床洗礼を受け、家族全員が救われました。
ただただ神様の憐れみと恵みに感謝するばかりです。
それからは仕事をしながら、有賀喜一先生の紹介でリバイバル聖書神学校の通信制を卒業し、教会では三省堂OBの河上武寿さんから出版社「憩のみぎわ社」の編集の仕事を受け継ぎ、ケニアにいる神戸俊平さんのNGO「アフリカと神戸俊平友の会」に仕えるように導かれました。
また、冨士土地の社長さんだった冨士野勉さんの紹介で超教派のクリスチャン実業人や専門職業人を伝道し弟子化する日本CBMC(キリスト者実業人会)、さらに多くの超教派の働きに参加するように導かれました。
私は20代半ばで肝臓を患い、30代前半で本態性高血圧症と言われ、40代で成人病のオンパレード、50歳で糖尿病を発病し、還暦前に痔ろうが癒されるものの副腎線種がわかり、62歳で大腸がんの手術を受け、最近は動脈硬化、変形性関節症と言われています。
このような私ですが、不思議と今日まで神様に生かされ、主の働きに仕えるように導かれました。
ただただ神様の憐れみと恵みに感謝するばかりです。
姉妹教会である新一教会の窓口をしていますので、いつも主にあって、「ケンチャナヨ、 アンジュゴヨ(ハングル語で大丈夫、死なないよ)」と言っています。
これからも宜しく お願いします。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(第一 テサロニケ5章16〜18節)
メッセージ要約 「主に感謝せよ!」
詩篇136篇 (三浦真信牧師)
<1〜3節>
礼拝者全員参加による信仰告白の歌としても用いられたこの136篇は、「主に感謝せよ」で始まります。
私たちが感謝をささげる主なる神は、「まことにいつくしみ深い方」です。
そして繰り返し言われているように、「その恵みはとこしえまで」続きます。
「恵み」は、神の特性であり、また聖書に繰り返し出てくる重要な言葉でもあります。
それは、受けるに価しない者に一方的にただで与えられる贈り物です。
神はご自分に頼る民に、永遠に恵みを与えてくださる方です。
イスラエルの民たちは、民族あげて歴史の中に働かれる神の力を目の当たりにしてきたのです。
その恵みが尽きることのない神に感謝をささげるのです。
<4〜9節>
神は「ただひとり、大いなる不思議を行われる方」です。
人と同じことしかできない神なら、神ではありません。
人間の力を超えたこと、人の目には「不思議」と思える出来事をも行われる方です。
その一つである、天地創造がここでうたわれています。
神は宇宙を、そして私たちをも目的をもって造られました。
この地上のもので、何一つ、また誰一人、偶然に存在するものはないのです。
そして神はただ造られただけでなく、世界の歴史に関わっておられるのです。
<10〜15節>
特にイスラエルの歴史で、出エジプトの出来事がまず回想されています。
エジプトで奴隷として長年苦しんできた、イスラエルの民たちの嘆き叫びを神は聞かれ、力強い御手をもって民たちを救い出されました。
<16〜22節>
エジプト脱出の後、約束の地カナンに向かって進んでいく荒野の旅も、困難がありながらも神は守ってくださいました。
様々な未知の敵に遭遇しながらも、むしろ神の偉大な力と慈しみ深さを荒野で経験しながら、神は民たちを守ってくださったのです。
<23〜26節>
神は常に私たちを御心に留めていてくださいますが、特に卑しめられるような弱い状況にある時に、そのことを私たちはいっそう実感することができます。
そして様々な敵から守り、飢えそうな時にも必要な食物を与えて、確かに神はご自身に頼る民を見放さず最後まで守ってくださったのです。
そのあわれみ深い「神に感謝せよ」と、 最後に再度うたっています。
イスラエルの民が、奴隷であったエジプトから脱出し、荒野を通って約束の地に導かれる出来事は、クリスチャンの人生の縮図のようです。
造り主なる神から離れてしまった人間は皆、罪の奴隷であると聖書は宣言します。
本来造り主が目的をもって造られた人間は、その神に従って生きることが自然であり、また安心なのです。
神のもとから迷いだし、自分の欲のままに生きることで、かえって罪の奴隷となってしまったのです。
しかし神はモーセという指導者を遣わしてイスラエルの民を奴隷から解放したように、罪の奴隷から解放するために、神の子キリストを世に遣わしてくださったのです。
造り主から離れている状態は、決して自由ではなく罪に束縛され、霊的に死んだ状態です(エペソ2:1〜9)。
神の怒りを身に負いながら生きる、重苦しい人生です。
しかしあわれみ豊かな神は、私たちが罪の奴隷のままでいることをよしとはされず、救いの道をキリストによって開いてくださったのです。
罪過の中に死んでいた私たちを、ただ恵みにより、信仰によって一方的に救おうとしてくださったのです(エペソ:2:4〜5)。
立派な行いや修行、努力に一切よらず、ただ神を信じる信仰により、救ってくださったのです。
ですから、私たちの側には何の誇りもありません。ただ神のあわれみによって救われたのですから、神に感謝をささげるだけです。
ただキリストの恵みによって、罪から救い出してくださり、地上の肉体とは全く異なる天上の新しい復活のからだを死んだ後に与えてくださる神に、私たちは感謝をささげることが自然なことなのです。
私たちを罪から救い出し、約束の天の都まで導いてくださる神は、地上の教会をも守り、あらゆる困難の中をも導き続けてくださる方です。
この主なる神に、感謝をささげましょう。
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