(2010年5月)

 ・ 5月30日
 ・ 5月23日
 ・ 5月16日
 ・ 5月9日
 ・ 5月2日
 








 5月30日
主題:「招かれた祝宴」 
        ルカ14:12〜24  (三浦真信牧師)


<12〜14節>
キリストは、パリサイ派指導者の家の食事に招かれた時に(1節)、天国の祝宴について話しました。
ここでパリサイ人たちが、お返しを求めて人を招こうとしている傾向を知り、むしろ見返りを求めないことの幸いについて語られます。
私たちが受けられるすばらしい報いは、義人の復活(パリサイ人たちが好んで使った表現)の時に受けるのです。
天国において、かけがえのない永遠のいのちと朽ちることのない天の財産を受け継ぐのだから、見返りを求めず、お返しのできない貧しい者たち、また社会で弱い立場にある人たちをあえて祝宴に招きなさいとおっしゃいました。
当時の宗教的社会的指導者であるパリサイ人たちは、むしろそのような人たちを軽蔑し無視していました。
それだけに、このイエスの教えは受け入れがたいものであったでしょう。
神ご自身も、天国に招くのに人に見返りを求めておられません。
何のお返しもできない者をも、神は喜んで天国の祝宴に招いてくださるのです。

<15〜24節>
恐らくパリサイ人であった客の一人は、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」と言いました。
パリサイ人たちは、自分たちこそ神の国に入るのにふさわしい生き方をしていると自負していました。
自分たちのように立派に正しい生き方をしている者こそ、神の国で食事をする幸せな者であると思っていたのです。
イエス様は彼のことばを受けて、一つのたとえ話をします。
当時の中東世界では、祝宴に人を招くのに2度招待する習慣がありました。
事前に招待し、当日に2度目の招待をします。
2度目の招待を受けてはじめて正式な招待を受けたことになり、また2度目の招待を断るのは、よほどの理由がない限り失礼なこととされていました。
イエス様が話された家の主人は、しもべを通してこの2度目の招待をします(17節)。
しかし恐らく1度目に出席すると言っていた人たちが、次々にキャンセルしました。
その理由として、三つ挙げられています。

@ 買った畑を見に行くため(18節)
A 買った牛をためしにいくため(19節)
B 結婚したため(20節)

どれも正式な祝宴をキャンセルするほどの理由ではありませんでした。
2度目の正式な招待を断ること自体が無礼であった上に、その理由もいい加減だったため、主人は怒って「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者やからだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい」(21節)としもべに言います。
しもべは言われた通りにしますが、なお宴席は空いていました(22節)。
そこで主人は、「この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい」(23節)としもべに命じます。
ここは天国の祝宴への招待について、イエス様がたとえで話しているところです。
神の国には、このようにすべての人が招かれています。
人々からは見下されているような人たち、社会的に弱い立場にある者も招かれているのです。
正に聖書は、神からの天国への招待状のようなものです。
この招きを受け入れる者は、みな天国の祝宴に与ることができるのです。
主人の正式な招待を断らない限りは、受けられるのです。
でも多くの人たちは、18〜20節にあるような、財産、仕事、家庭を優先させて、何よりも大事な神からの招きをキャンセルしてしまうのです。すべての人が招かれているのに、一時的なことにしがみついて、永遠に関する大切な招きを自ら断ってしまうのです。
マタイ7:13〜14で、イエス様は天国の門を「狭い門」とおっしゃいました。
普通は「狭き門」とは、レベルが高く難しい時に使われます。天国にはすべての人が招かれているにもかかわらず、なぜ「狭き門」なのでしょうか?それは、あまりにも簡単に入れるので、人々があまり価値を見出さないからです。
本来は「広き門」なのですが、人は簡単に入れるところに魅力を感じないのです。
招きを受け入れてキャンセルしなければ、誰でも入れるのが神の国です。
ただ主イエスを信じるだけで与えられる救いです(使徒16:31)。聖い神の前では、すべての人が罪ある存在です(ローマ3:10)。
造り主である神を無視して、自分勝手な道を生きることが罪の根源です。
でもその罪をも神は忍耐をもって見逃して来られました(ローマ3:25〜26)。
そして神の子キリストが、罪のなだめの供え物として、十字架で死なれたのです。
この「キリストを信じる者」を義と認めて救い、神は天国を与えてくださるのです。
パリサイ人たちの多くは、自分たちは正しく立派な生き方をしているから、天国の祝宴に与かれると自負していました。
自らの力で天国に入れるという自信をもち、キリストの招きを断ってしまうのです。
しかしパリサイ人たちが軽蔑している社会的弱者、マイノリティー(少数派)の人たちの中には、自分の弱さや罪悪感で苦しむ者たちが多くいました。
彼らの多くは、キリストの招きを低い心で心から感謝して受けていくことができたのです。
神は私たちに何の見返りもお返しも求めておられません。
ただ一方的に愛するゆえに、ただでこの救いを与えたいと願っておられます。
すべての人に、天国への招待状を出しておられます。
「天国に招かれるには全くふさわしくない者ですけれど、喜んでお招きを受け取ります」と言って、その神の恵みを受けていけばよいのです (ローマ 3:24)。
差し出された天の祝宴の招待を、受け取ってキャンセルしないこと、ただそれだけなのです。




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 5月23日
主題: 「すべてのものを生かす川」  
              エゼキエル47:1〜12   (三浦真信牧師)


祭司であり預言者であったエゼキエルが、幻の中でエルサレムの神殿に案内されました。神殿の入り口を見ると、敷居の下から東に水が流れていました(1節)。
案内する人が、手に測りなわをもって1000キュビト(約500メートル)測り、そこを渡っていくと、水の深さは足首までありました。
さらに1000キュビト進むと、ひざ、さらに腰に達し、ついには足が届かず泳がなければ渡れないほどの深さになりました(3〜5節)。
神から出る聖霊の水も、前進していくほどに深くなっていきます。
足首くらいで満足することなく、さらに深く、聖霊の水に押し流されるほど聖霊の力に運んでいただけるように求めていきましょう。

この神殿から水が流れている川の両岸には、非常に多くの木があり(7節)、その水はエルサレム東の荒野を通って、ヨルダン渓谷にあるアラバに下り、海(死海)に入ります(8節)。
死海は塩の含有率が極度に高く、ほとんど魚や生物がいません。しかし案内人は、そのような生命力のない死海でさえも、この聖なる水が注ぎ込まれると水が良くなり、生物が生きるようになると言うのです(9節)。
この神の霊から流れる水が注がれるところでは、すべてのものが生きるのです。
霊的に死んだ魂にも、聖霊の水が注がれると、いのちを吹き返すのです。
私たちはみな、かつて罪過の中で霊的に死んでいました(エペソ2:1)。
しかし聖霊が来てくださって、主イエスを救い主として迎える心を与えてくださり(Tコリント12:3)、死からいのちに移されたのです。
そして今もこの聖霊の水によって、日々キリストにあるいのちを与えられ続けているのです。

このいのちの水は、死海沿岸のエン・ゲディやエン・エグライムに漁師が住みつくほどにまで多くの魚を死海に生息させることができるのです。
大海(地中海)のように豊富な魚を住ませることができるのです(10節)。
しかし、この神から流れる水を受け入れない「沢と沼」とは、相変わらず水が良くならないので、塩のままで残り、生物もすむことはできません(11節)。
聖霊の水を歓迎するなら、いよいよ豊かに注がれ、いのちにあふれていきますが、どこまでもこの聖霊を受け入れず拒んでいくなら、そこは塩だけが残って、いのちを宿さない死海のままになるのです。
聖霊の水を受け入れるものの豊かさと同時に、どこまでも拒んでいくものの悲惨さもこの案内人は伝えています。

神の聖所から流れる水の両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉は枯れず、実も絶えることがありません(12節)。
それは、神ご自身から流れるいのちの水だからです。
その実は食物となって人々を生かし、その葉は薬となって、人々を癒すのです。
聖霊の水を注がれた人々は、このように実を結んでまた他の人々を生かし、他の人々を癒す存在となっていくのです。
それは人間の努力でそうなるのではなく、神から流れる聖霊の水が、そのようにしてくださるのです。
私たちは、ただ存分にこの聖霊の水を受け続けていけばいいのです。
いのちの実と、いやしの葉は、どこまでも聖霊が成らせてくださるものです。

イエス様も、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」(ヨハネ7:37〜39)とおっしゃいました。
「だれでも」、イエス様に求めるなら、このいのちの水を溢れるように与えてくださるのです。それは御霊の水です。
心の奥底から流れ出る生ける水の川です。
飢え渇いてイエス様に求める人なら、だれでもこの水は注がれるのです。
すべてのものを生かし、死んだ海にも豊かな魚をすませる聖霊の水を、さらに求めていきましょう。
足首や、ひざ、腰の深さで満足せず、聖霊の豊かな川に押し流されるほどに、さらに聖霊の深みに入れていただきましょう。
私たちが無力であればあるほど、渇いていればいるほど、聖霊は働いてくださるのです。
罪の痛みや、孤独と悲しみに押し潰されそうな中でこそ、聖霊は私たちを潤してくださるのです。
そして自分では立つことさえできなかったような弱い者をも、今度は人々を生かし癒す木として聖霊は用いてくださるのです。
さらに聖霊の深みの中に、前進させていただきましょう。



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 5月16日
主題: 「喜びのために働く協力者」 
              Tコリント1:23〜2:4   (三浦真信牧師)


<23節>
パウロは、コリント訪問の予定を変更したことで、コリントの一部の人たちから人間性を疑われたり嘘つき呼ばわりされることを深刻に受けとめ、「このいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います」と真実な思いを伝えようとしました。
パウロが伝える福音が謗られないためにも、何としても誤解を解きたいという熱意を感じます。
パウロがコリントにまだ行かないでいる理由を一言で言うと、「あなたがたに対する思いやり」のためでした。
それは、コリント教会の人々にとって、意外なことばであったかもしれません。

<24節>
そして、その「思いやり」の詳細を説明する前に、パウロはコリントの人々の信仰を支配しようとしているのでは決してないことを伝えます。
それどころか「あなたがたの喜びのために働く協力者」であるという自分の立場を明確にしています。
コリント教会は、パウロが開拓した教会でもあり、パウロが去ったあとも、コリント人への第一の手紙などを通して、パウロはコリント教会に様々な忠告も与えていました。
ですから、コリント教会の中では、「パウロは自分が開拓した教会だからといって、自分の思い通りに私たちを支配しようとしているのだ」と吹聴する人たちがいたのかもしれません。
あるいは、福音に似て実際には福音ではない教えを持ち込んだ人たちが、パウロの語る福音から人々を引き離すためにそのように言いふらしたのかもしれません。
確かにリーダー的役割を託されている人たちは、常に注意していないと、いつの間にか人々を支配してしまう危険があります。
ですからペテロは、教会の長老たちに対して「その割り当てられている人たちを支配してはいけない」(Tペテロ5:3)と忠告を与えています。
自分に託されているグループの人々、今交わるように導かれている人たちを、支配するのではなく、その中で自分自身が模範として生きることを心がけるようにと勧めているのです。
人が人を支配してはいけないのです。
教会では、牧師・長老・リーダーたちが特に気をつけるべきことであり、社会にあって上司が部下を、先輩が後輩を支配しないように気をつけるべきです。
家庭にあっても、夫婦が互いを支配したり、親が子を、子が親を支配してはいけないのです。
支配するのではなく、自分自身がその中で模範となりなさいというのが命じられていることであり、常に問われるのは神のみ前に自分自身がどのように生きるかなのです。
パウロは、コリントの人たちを決して支配しようとして接してはいませんでしたし、またそうならないように注意していたことでしょう。
そしてパウロとしては、支配するどころか、コリントの人たちがキリストにある「喜び」をさらに持つことができるように助ける「協力者」であることを伝えました。
キリストを信じて生きるとは、喜びが増していくことでもあります。その喜びは、環境に左右されないものです。
大迫害という最悪の状況で、使徒たちは喜びをもっていました(使徒5:41)。
もちろんその中には、痛み、悲しみ、憤りもあったでしょう。
しかし根底にある救いの喜びは消えることはなかったのです。
またたえず襲うピンチの中でも、神の驚くべきみわざを見させられる喜びがありました。
キリストが歩まれた十字架の苦しみと辱めを、自分たちも少しだけ同じように歩ませていただいたという喜びもあったのです。
良いことがあったから喜ぶとか、楽しいから喜ぶという喜びではなく、喜べる状況ではないにもかかわらずキリストの喜びがあふれてくるという類の喜びなのです。
そのような、信仰の前進とともに少しずつ増し加えられていく喜びのために、パウロは少しでも協力したいと願っているのです。
でもパウロは、コリントの人たちに信仰がないとは言わず、「あなたがたは信仰に堅く立っている」ことを認めています。
信仰の土台はあるのだから、この喜びもさらに増し加えられていくと、決してコリントの人たちを上から罵倒するのではなく、その信仰を認めつつ、さらにキリストにある喜びが与えられるように協力したいことを伝えます。

<2:1〜4>
ここで、パウロはコリント訪問を変更した理由(1:23で伝えた「思いやり」の内容)について説明を続けます。
それは、自分が訪問することで、コリント教会の人たちを悲しませたくないという配慮からだったのです。
1節の表現から、すでに一度パウロはコリントを 訪問し、それが悲しみを与えるだけで終わってしまったことを残念に思っていたことがわかります。
恐らくコリント人への第一の手紙で忠告しているような、礼拝や集会で起きている無秩序や弱い人への配慮のないことなどを、パウロは直接注意したのでしょう。
しかし彼らはそれを理解して悔い改めるのではなく、むしろ激しくパウロを非難する方向にいってしまったようです。
第一回目の訪問で、コリントの人たちにもパウロの真意が十分伝わらず、ただパウロから叱責されてしまったという悲しみだけが残ってしまい、パウロ自身も
伝わらなかった悲しみを抱いて帰ってきました。               
そのことを残念に思い、その後パウロは涙ながらにコリント教会に手紙を書きました(4節)。
その手紙を通して、恐らく第一回目の訪問で伝え切れなかったことや、パウロの無念さなどを懇々と伝えたのでしょう。
その手紙をテトスに託して、それをコリントの人たちがどのように受け留めたかを聞かないままコリント教会を再度訪問しても、同じ悲しみを与えるだけだと思い、パウロはコリント訪問を断念したのでした。
どこまでも、無用な悲しみをコリントの人たちに与えたくないという思いやりだったのです。
形だけ訪問すればよいというのではなく、パウロはその時その時に祈りつつ神の導きを求めていきました。
訪問して直接話したほうが良い時もあれば、少し時間をおいて神がそれぞれに語りかけてくださる時間を待った方が良い時もあります。
あるときは手紙やメールで整理して伝えた方が良い時もあれば、感情を込めて顔と顔を合わせて話したほうが良い時もあります。
人格をもった人間が相手ですから、マニュアルはないのです。
相手が話すことを嫌がっているのに、ずけずけと心に押し入るべきではないという場合もありますし、遠慮なく伝えたいことを語ってほしいと相手のほうが待っている場合もあります。
人によって、関わり方が異なりますし、また同じ人でも置かれた状況や時によって、関わり方は変わります。
自分の基準で、「こういうときには、こうすべき」というマニュアルを作って、その時その時の御霊の導きを無視しないように、私たちはたえず気をつける必要があります。
すべてに神の時があります(伝道者3:1〜8)。
黙って待つべき時もありますし、ストレートに話すべきときもあります。
議論になってもとことん話し合う戦いのときもあれば、和睦していく時もあります。
自分の今までの経験をたえず後ろにして、たえず聖霊に聞きながら、神の時を見極めることが大切です。
私たちは、自分自身がキリストの喜びに与っているものとして、また誰かの喜びのために働く協力者でもあるのです。
そのためには、自分の中にいつしか出来上がっているマニュアルをたえず白紙にして、御霊に聞いていく歩みが必要です。
人の受け留め方、感じ方はみな違いますし、受け入れられる度量も人によっても、またその人の置かれた状況や信仰の成長段階によっても違います。
「今この人と、どのように関わったらよいでしょうか?」と御霊に聞きながら、人を支配するものではなく、真の喜びの協力者とならせていただきましょう。
何でも自分の経験や基準で決めつけずに、御霊に一つ一つ聞いていきましょう。




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 5月9日
主題: 「救いの保証」  
        Tコリント1:21〜22 (三浦真信牧師)


<21節>
真実の神が、私たちにしてくださったことを二つ、ここでパウロは記しています。
@ 神は私たちをキリストの内に堅く保ってくださる
パウロもコリントの人たちも、キリストにあって一つに結ばれています。
同じキリストが、一人一人の信仰を守り、罪をきよめ続けていてくださいます。
そして終わりの日に責められることのない者として神の御前に立てるように、堅く保ってくださるのです(Tコリント1:8)。
「堅く保つ」という原語は、「強めてくださる」という意味もあります。
キリストが、私たちを強め続けてくださるのです。
生きている限り、力を失いそうになる事態にしばしば遭遇します。
そんな中でも、キリストが私たちを強め堅く保ってくださるのです。
真実の神が、キリストの内に私たちの信仰をも堅く保ってくださるのです。

A 神は私たちに油を注がれた
神は聖霊の油を私たちに注がれました。
旧約時代には、預言者・祭司・王という特別な務めに任じられる時に油を注がれました。
今はキリストを信じる者たちすべてに、聖霊の油が注がれます。
聖霊の油を注がれたということは、すべてのクリスチャンは預言者・祭司・王に任じられているということなのです(Tペテロ2:9)。
預言者として神のことばを伝え、祭司として神と人々とをとりなし、王として神の義と愛を世に現していくために、聖霊の油が注がれているのです。
その務めを果たすために、聖霊は具体的な知恵、力、導きを与えてくださるのです(Tヨハネ2:20、27)。
様々な人の教えに惑わされないように、たえず聖霊に聞くことが大切です。
どうしてよいか分からず困り果てている時にも、聖霊は道を示してくださる方です。
人の意見を聞くことは大切なことですが、最終的には内におられる聖霊に何でも聞いていきましょう。
聖霊は天国の知恵を与えてくださる方です。
聖霊によって、無学なペテロやヨハネも、天国の知恵を人々に語ることができたのです(使徒4:13)。
クリスチャンは、永遠のいのちを得る知恵をもっているのです。
天国の視点で、この世の出来事や直面していることを見ることができるのです。
聖霊が「すべてのことについて教えて」くださるのです。
何でも聞いていかなければもったいないです。どんなことも、聖霊に聞いていきましょう。

<22節>
「神は確認の印を私たちに押して」くださいました。
「キリストの証しを受け入れた者は、神は真実であるということに確認の印を押したのである」(ヨハネ3:33)と、バプテスマのヨハネは言っています。
そしてその保証(または手付金)として、御霊を神は私たちの心に与えてくださいました。
保証であるなら、実体のない漠然とした物であっては困るのです。
口約束ではなく、保証としてハッキリ分かるものであるはずです。
御霊も、保証ですから、はっきりとしたものです。神の霊が私のうちに住んでおられるとハッキリわかるのが御霊です。
ですから、ハッキリするまで私たちは聖霊を求める必要があります。
御霊は神の国を受け継ぐことの保証ですから、漠然としていたら望みをもって生きることができません。
私のうちに御霊が確かに住んでいてくださると具体的に分かるまで、聖霊を求めていきましょう。
今それが曖昧になっているなら、また求めていきましょう。
聖霊が内に住んでいてくださること(聖霊の内住)がハッキリすると、自ずと何でも聖霊に聞くようになりますから、人に要求したり依存する必要もなくなり、人間関係も楽にされていきます。
助け主聖霊が、最後には必ず大丈夫なようにしてくださるという安心が生まれてくるので、あまり小さなことにとらわれなくなります。
御霊は神のことばを私たちのうちに大切なものとして留めてくださいますから、人のことばに極度にとらわれたり、傷ついたりすることが少なくなります。
自分の思い通りにいかないことがあっても、また思わぬ出来事に遭遇しても、「何か神様の深い計画がある」という見方ができるように聖霊が促してくださるので、悲しんだり落ち込む時にも、どこかに安心があります。
内におられる聖霊が、私たちの人間的視点を、神の視点にたえず切り替えてくださるのです。
聖霊は、救いの保証として、私たちの地につく心を、たえず天国の望みに向き直してくださるのです。
聖霊の助けなしには、信仰も絵に描いた餅になってしまいます。
頭だけの、単なる知識だけの、漠然としたものになってしまいます。
でも聖霊は、天国の保証であり、具体的な助け主です。
ですから、この聖霊が内におられることを更にハッキリさせていただきましょう。
そしてどんなことも教えてくださる聖霊に、何でも聞いていきましょう。
聖霊は、目に見えるものだけで考え行動している私たちの心の目を開いて、神の与えてくださる望み、栄光、神の力がどれほどすごいかをわからせてくださるのです(エペソ1:17〜19)。
知恵と啓示の御霊が、私たちの心の目をはっきり見えるようにしてくださるように祈り求めていきましょう。




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 5月2日

第1礼拝  主題: 「輝く生涯」 
 
        ローマ12:1〜8 (在原繁・アンテオケ宣教会宣教師)


私がアルゼンチン宣教開始して、今年で23年目になります。日本から見たら、ちょうど地球の裏側にあたる現地に行ったのは1988年のことでした。今はパラグアイとの国境近く、モンテカルロというところで開拓伝道と教会建設をしています。今日の御言葉から知れることは、人間にとって一番崇高なことは神を礼拝出来ることだということ、そして全員賜物が与えられていて、それを神のために用いることが出来るということです。

宣教のために大切なことは、世界情勢を把握する情報と、聖霊の導きとそれに先立つ聖霊の油注ぎ、満たしでした。まず時代を見るということでは、バプテスマのヨハネが「時は満ち、神の国は近づいた」と言ったあの時代のことを考えてみれば分かります。ヘレニズム文化のギリシャ語が広がり、ローマ帝国の道路が整備されました。福音が世界に広がりやすい時代となったのです。豊かな生活で人々が堕落し切り、霊的な渇望が生まれていた。今日の世界とも通じるところがあります。1988年はコンピューターの到来、昭和の終わり、鉄のカーテンによる共産時代の終わりという時代でした。アルゼンチンはリバイバルの最中、そして日本の霊的渇きは「これほど渇いている国は他にない」と言われるほどの渇きでした。それは今でも続いています。2010年、世界は変わっています。アメリカの凋落、EUという大国の出現、中国が資本主義化してくる、かつてのキリスト教国ではなく、いわゆる第三世界から宣教師たちが世界中に派遣されているという時代です。リバイバルとは教会の人数が増えることではありません。爆発的に人々が世界宣教に出ていくことです。イスラム教国への宣教をどうするかというのは、世界宣教の大きな課題でしたが、そこに中国の宣教師たちがイスラエルを目指してシルクロードを逆流していくという時代です。このような時代にあって、私たち日本のクリスチャンはどのような使命を与えられているか、神の声を聴くということが大切です。ご聖霊に導かれることがとても大切になって来ます。

15世紀、世界は大航海時代を迎え、人々は金を求めて南米に行き、収奪と殺戮を繰り返しました。この500年に殺された中南米のインディオは一億人に上ると言われます。近年、コロンブスの「新大陸発見500周年」と言われましたが、現地のクリスチャンと諸外国の代表たちは土下座して謝罪したのです(日本からの艦隊は花束を掲げてお祝いして民衆の怒りを買いました)。そのような時代に神の声を聴いたイエズス会の宣教師たちが、インディオの保護と救いのために立ち上がりました。ヨーロッパで最高の教育を受けた教養人たちでしたが、第一コリント6章のように全き献身をしたのです。インディオたちからすれば憎いヨーロッパ人ですから、ジャングルの奥地で殉教する宣教師が続出しました。何百何千という若い宣教師たちが拷問を受けて命を落としましたが、やがて音楽を通してインディオに福音が届きます。そして建築や農業を教える形ですばらしい共同体が築かれます。しかしそこはポルトガルとスペインが激突する場所で、戦争を回避するために境界線が引かれます(マドリード協定)。イエズス会宣教師たちとインディオたちはどこうとしなかったため、両軍が攻めて来て虐殺されていったのでした。

彼らは何ゆえにヨーロッパを捨てて、南米に来たのでしょう。ヨーロッパを出たら二度と帰れない可能性が高い時代。最高の教養人であった彼らが、すべての地位と財産を捨てて献身したその動機と力とはなんだったのでしょうか。彼らは価値観が変わったのです。ピリピ3:4〜8でパウロが言っているように、当時最高の地位や教育を受けた彼らが、キリストのゆえにそれを投げ出したということです。キリストを見た、知ったというのは価値観が変化することです。

防衛大学教授のO氏という方は、30年以上クリスチャンでしたが、聖霊のバプテスマを受けて価値観が変わったと言います。また、アルゼンチンに滞在するクリスチャン青年たちを見ていて、彼らには一人で神の前に出た経験がないように見えましたが、赤裸々に神の前に出て自らの汚れに泣き、聖さを求めた人は変わりました。内側から湧き上がるいのちをもって価値観が変わったのです。

人間にとって最も崇高なことは、神を礼拝するということです。そして全ての人が与えられているその賜物を、命を捨てるに値する真実のために用いるということです。日本に帰って来て感じることは、人々が間違った愛情、間違った幸福感や充足感を求めて右往左往しているということです。幸福感や充足感を求めることは必要なことですが、正しいそれは神さまの計画に従うことを通して得られます。それは自らの賜物を知り、それを神の栄光のために完全燃焼するときに与えられる喜びなのです。

 (要約の文責:田中殉伝道師)


第2礼拝 主題: 「真実なお方」 
            イザヤ55:6〜13 (在原繁・アンテオケ宣教会宣教師)


この聖書個所にあるように、神様の思いと私たちの思いは異なります(8節)。絶対にこれは間違いないと思っても失敗する時があります。出エジプトにあるように、砂漠の中を歩む民にとって必要なのは、昼は雲の柱、夜は火の柱となって導いてくださった神様の、聖霊の導きです。
母教会の御殿場純福音教会を築いたスウェーデン人のアクセンソン宣教教師は、かつてチベット宣教をしていましたが、迫害されて香港に逃げ、それから日本に来ました。御殿場に導かれて教会を建てました。同師が神様から「多くの献身者が出、日本のリバイバルに仕えていく」と示されましたが、さほど人数が多くない教会でありながら、1500坪の敷地を与えられており、今までに14人の献身者を出しています。それは人間の努力によるものではなく、預言の成就です。
私が宣教の召しを受けた後、導きを求めてアクセンソン師に相談したときには、「アルゼンチンへの宣教を神様のみこころです。あなたを召したのは神様だから、神様が責任を取ってくださる。だからあなたは神様を礼拝していけばいい。」と言われました。しかし、現実は祈っても祈っても砂漠のような状態、道が分からず前に進めない状況でした。資金はない、受け入れ先が決まらないなど、見えるところは不可能という状況のまま、「聖霊の導き」をひたすら求めていました。そういう中で、関西の宣教師訓練センターでの集会で、オーストラリア人の元カトリック神父の方に祈っていただいたとき、「ドドーン」という衝撃をもって疲れ切っていた私が力を受け、癒される経験を得ました。また、「全能の神、主があなたを召し、あなたを通して主の栄光を現す」と語ってくださいました。しばらくして「日本での戦いは終わりました」と、はっきりと神様の声を聞いたのです。ちょうどその頃、JICA(国際協力事業団)から連絡が入り、渡航の許可と永住権が与えられたこと、アルゼンチンへの渡航費用を日本政府の費用で備えられたことがわかりました。まさにすべての必要が満たされたのです。のちに日亜両政府間の移住協定が切れて、私たち家族がアルゼンチンへ移住した最後の家族となりました。事は人間の願いではなく神様によることがはっきりした訳です。

実際にアルゼンチンに行ってみると、経済恐慌、混乱、クーデターのうわさがあり順境ではありません。カルロス・アナコンディア師にお会いしましたが、祈りの人であり、キリストの香りを放つ人でした。とりなしの祈りを受けた私と妻は、聖霊の力によって倒れてしまいました。そこで霊の祈りである異言、霊の祈りの賜物を頂きました。「御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ8:26)。聖霊が祈ってくださってその祈りの中で私たちは聖化されていく、この大切な祈りを与えられました。
私が来る以前の第1次リバイバル(1983年頃)はどんなものであったかというと、聖会を始めたら、讃美が終わらない、感動して拍手がとまらない、主の臨在にあふれ、牧師のメッセージには力があり、招きには多くの人がこたえました。サッカー場での聖会は満員となり、病の癒しが行われるなど、この第1次リバイバルで200万人がバプテスマを受けたと言われています。

私が赴任している間にも、6〜7年で少数から1000人を超える教会になるなど成長が目覚しく、枝教会が次々とできました。礼拝中に、講壇の後ろや隅でとりなしの祈りをしています。その教会では、ある方から「日本から牧師が来てこの教会で説教するという預言が与えられていた」と喜ばれました。
私は、東京と同じような大都会であるブエノスアイレスで宣教したかったのですが、聖霊の導きにより神様のみ旨にかなうのでなければ、成功し、勝利することはないということを、日本での4年間の訓練で学んでいました。映画「ミッション」の舞台となった ミシオネス州は、アルゼンチンの中で最も発展の遅れた地域です。日系人の方から、危険だし子どものこともあるからあそこに行くのは止しなさい、と忠告されました。しかし、御霊に示された「あなたの行きたくないところに行かなくてはならない」に従って、出て行くことにしました。
やがて日本から牧師・宣教師がこの地を見に来るようになり、中には聖霊の油注ぎを受けて日本に戻られる方がおられます。

神様は真実なお方です。「信仰が無くては神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださるお方であることを、信じなければならないのです」(ヘブル11:6) 神様は、あなたが求めるときに、私は答え、あなたが叫ぶときに私はここにいると言ってくださいます。
神様が私に語られた中でまだ実現していないことには、日本に約束された空前絶後のリバイバルがあります。神様が発せられたことばは必ず実現します。その約束を信じて、私はなお宣教に励み、前進していきます。
      (要約の文責:田内博)




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