(2018年11月)

 ・ 11月11日
 ・ 11月 4日
 




 11月11日
聖日礼拝メッセージ要約 主題:「弱虫ギデオンを用いる神」

         士師記6:11~14、7:1~25  三浦真信牧師

 イスラエルを治めていたヨシュアが死んでから、イスラエルの人たちは自分たちで勝手に造った偽物の神を拝んだり、神さまを悲しませる悪いことを始めました。神さまのことを忘れて勝手なことをしているうちに、当時とても強かったミデヤン人がイスラエルを攻めてきて畑や食料を奪うようになり、イスラエルの人たちは食べるものにも困るようになりました。そのような苦しい生活が7年も続く中で、みな神さまに祈り叫ぶようになりました(7:1~8)。   「神さま、私たちはあなたのことを忘れて生きていました。ごめんなさい。どうかミデヤン人の攻撃から救ってください!」

 その頃ギデオンという青年が、ぶどうを踏む場所で小麦を打っていました。ギデオンはミデヤン人に見つかるのが怖くて、隠れて仕事をしていました。そんなギデオンの前に突然、神の使いが現れて言いました。「力ある勇士よ。神さまがあなたと共におられます」(6:12)。するとギデオンは驚いて、「神さまが共にいてくださるなら、どうして私たちはこんなつらい目に会うのですか?もうずっと私たちはミデヤン人に苦しめられているのです」と答えました。神の使いは、「あなたがミデヤン人からイスラエルを救うのです。神さまはあなたを選ばれたのですよ」と伝えます(6:13~14)。ギデオンはびっくりして「とても私にはそんな力はありません」と答えます。神の使いは「神さまが共にいてくださるから大丈夫です」と言いました。ギデオンは、なかなか御使いを通して神さまが言われたことを受け入れられませんでした。しかし最終的には神さまが共にいて助けてくださることを信じて、従っていくことにしました。

 さてミデヤン人と戦うために、国中からギデオンのもとに兵士が集まってきました。その数は3万2千人でした。ギデオンは「ミデヤン人の兵士の数は私たちよりもずっと多い。この人数で勝てるのだろうか?」と不安になりました。そのギデオンに神さまは「ギデオン、あなたと一緒にいる兵士は多すぎる。もっと人数を減らしなさい」と命じます。それは 今の人数でミデヤン人に勝ったら、イスラエルの人々が「神さまの助けがなくても自分たちの力で勝った」と自慢するかもしれなかったからです(7:2)。ギデオンは、今の人数でも少なくて不安でしたが、神さまがそうおっしゃるので、神さまの言葉を信じて従いました。そして神さまに言われた通り、「この戦いを恐れている者は帰りなさい」と言いました。すると兵士の数は半分以下になりました。それでも神さまはまだ数が多すぎるとおっしゃいました。そこでギデオンは、きれいな水が流れている川にみなを連れていき、手ですくって水を飲んだ300人を選び、他の兵士は帰らせました(7:5~7)。

 夜になって、ギデオンは「こんなに少ない人数で勝てるだろうか」ととても不安になりました。恐れているギデオンに神さまは、ミデヤン人たちの陣営にこっそり行って、彼らが何と言っているかを聞くようにギデオンに命じます。ギデオンと若者プラがこっそりミデヤン人の泊まっているテントに近づくと、一人のミデヤン人が仲間に話している声が聞こえました。「さっき大きなパンのかたまりが転がって来て、私たちのテントにぶつかりテントが倒れた夢を見たよ」。聞いていた仲間は、「それって、私たちがギデオンに負けるということではないか?」と不安そうに答えます。それを聞いて、ミデヤン人の方がイスラエルのことを怖がっていることがわかりました。神さまは、そのことをギデオンに知らせ、この戦いに神さまが勝たせてくださることを確信させてくださったのです。そしてギデオンは生ける神を礼拝しました(7:10~15)。

 神さまが共にいて勝利を与えてくださると信じたギデオンは、300人の兵士を三つのグループに分けて、それぞれに角笛とつぼを持たせました。つぼの中には火のついたたいまつが入っています。真夜中にギデオンは仲間を連れてミデヤン人のテントに近づくと、突然角笛を吹きならしてつぼを割りました。それを合図に、全員が一斉に角笛を吹き、大声で叫びながらつぼを割りました。ミデヤン人は、それでなくてもイスラエルを恐れていたので、そのすごい音を聞いてびっくりして逃げていきました。そして長い間苦しめられてきたミデヤン人からイスラエルは解放されたのです。

 神さまは、ミデヤン人に苦しめられてきたイスラエルの人々の祈りを聞いてくださり、ギデオンを勇士として選びイスラエルを助け出しました。ギデオンは、最初ミデヤン人を恐れて隠れていましたが、そのような弱虫ギデオンを神さまはイスラエルを助けるために用いてくださったのです。でもギデオンだけでなく、人間はみな弱虫です。恥ずかしいからあまり弱いところを見せないようにしたり強がったりしているけど、いざとなったらみんな怖がりだし、不安になるし、ビクビクしてしまいます。

 ギデオンも、ミデヤン人との戦いの直前まで不安で恐れていました。だから神さまは、ミデヤン人たちの方がこわがっていることを知らせるために、ギデオンをミデヤン人たちのテントに偵察に行かせました。どちらも恐れていたけど、ギデオンは神が共にいて勇気と力を与えてくださったので勝つことができたのです。 すぐに不安になったり恐れてしまう私たちに神さまは、「わたしが一緒にいるから恐れなくてよい」と言ってくださいます。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主があなたの行く所どこにでもあなたとともにあるからである」(ヨシュア1:9)すぐに恐れてしまう私たちであることを神さまはご存じで、このよう励ましてくださるのです。

 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテロ5:7)。私たちが心配する前に、神さまが私たちのことを心配してくださっています。ですからすべて神さまにお任せしましょう。

 そしてすぐに恐れてしまうギデオンを用いてイスラエルに勝利を与えた神さまは、私たちの弱さもご存じで、足りないまま私たちを用いてくださいます。神さまが、苦しんでいる人や困っている人を助けるために私たちを遣わしてくださる時には、「自分なんかとてもできません」と尻込みせず、神さまが共にいて力を与えてくださることを信じて出ていきましょう。
 
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 11月4日
聖日礼拝メッセージ要約 主題:「自分と周りを生かす喜び」

         ルカの福音書19:1~10、創世記12:1~3

                     廣瀬薫・東京キリスト教学園理事長

 今の時代に、自分が生き甲斐をもって手応えのある生き方を出来るのか、また自分の周りを生かす喜びを味わう生き方が出来るのか。ザアカイがイエス様に会うこの聖書箇所は、このテーマに答えを与えてくれます。  

 人生に二つの要素があるように思われ、一つは乗り物あるいは道筋で、学校、職業(どの会社)、結婚相手、子育て、住む場所など大切なことです。もう一つは目的地で、こちらの方が決定的に大切です。どんなに良い乗り物に乗っても、目的地に着かないのであれば意味はありません。


1. ザアカイの職業選択

 ザアカイなりに人生を考え、お金を蓄えていけば多くの困難に立ち向かうことができ、人生を生き抜いて行けると考えたのでしょう。嫌われる職業であることを承知の上で、取税人(しゅぜいにん)となったザアカイは、取税人のかしらに出世し、金持ちになりました。


2. 取税人になってみると

 収入や地位はありますが、人間関係など大切なものを失いました。 取税人は「罪人」と見られ、誰からも愛されない者となり孤独を感じるザアカイでした。そんな自分自身に劣等感を持っていた事でしょう。幸せとなる要素を失っていました。 聖書が教えるように、人間が幸せになるのには、①人間関係の基本の幸せな家庭、②自分を生かす持ち場、仕事場、③神様(教会)との関係、この3つの場が共に幸せに満たされていなければなりません。


3. 失われた人間を本来の姿に活かす力

 いちじく桑の木に登っていたザアカイを見て、イエスは「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われます(5節)。この一言でザアカイは一変します。失われ、迷子になっていたザアカイをイエスは何の条件も付けずに、受け入れました。

 ① 人間関係の回復:人間関係が壊れると、人は名前で呼ばれなくなります。イエスはザアカイの名前で親しく呼びかけられました。名前を呼ぶと言うのは、人格的な関係を持とうとして下さる事です。ザアカイはイエス様の暖かさに触れて心が癒(いや)されました。そして本来の人間関係を回復していく、これからは人々との和解と愛の関係に生きると言うのです(8節)

 ② 自分自身との関係:食事を共にするより事は完全に受け入れ合うことを意味しますが、さらに踏み込んで「家に泊まる」との申し出を受けました。「私とあなたは一つだよ、心を開いてほしい」とのニュアンスがあります。人々が寄り付かなかったザアカイの家に、イエス様は泊まると言って下さる。「ザアカイは急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた」(6節) イエス様は、ザアカイの全てを知った上で彼を受け入れます。無条件で受け入れられる事を通して、ザアカイは初めて自分で自分を受け入れられるようになったのです。誰が何と言おうと、イエス様に愛され受け入れられている尊い存在と分かったのです。

 イエス様はこのように、人が避ける問題に踏み込み、避ける人を呼びます。自分も問題を共有し罪・汚れを引き受け、十字架に処分するのがイエス様のなさり方です。

 ③ 神様との関係:「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」(9節) アブラハムの子(神の民)には、神様に救われた人と言う事と、神様の祝福を周りに拡げる人の意味があります。この家とは、使用人を含めた大きな共同体でした。神様がアブラハムを召されるところ(創世記12:1〜3)では、その最後に「地のすべての部族は、あなたによって祝福される」と言われました。

 ザアカイの地上の持ち場に救いが来たとイエス様は言われたのです。ザアカイは救われて神様との関係を結ばれる、そして祝福の拠点として神様に用いられていきます。私たちが受ける救いと恵みは、私たち個人に留まらないで私たちが置かれている場に広がるものであることが示されています。


4. イエスに救われた後のザアカイ

 聖書に記されていないので想像でしかないのですが、そのまま取税人を続けたのではないかと思われます。不正な取税人ではなく本物の正しい役割を果たす取税人として生き、また、儲けたお金で世界を良くする働きをして行ったのでしょう。

 初代教会が大きく成長して行った要因は、一人一人のクリスチャンたちがあらゆる分野で大きなインパクトを与えて行った事によると思われます。

 東京基督教大学(TCU)はこれを目指しています。牧師だけでなく、あらゆる分野に聖書のキリスト教世界観に立って神の国を造る信徒献身者がいて欲しい。一人一人がそれぞれの持ち場でザアカイのように活躍する、それが日本のリバイバルへの道だと思っています。


5. 私たちは、今の時代をどう生きるのか

 聖書は、ザアカイに起きた事は、信じる全ての人に起きるのだと言います。

 第1に、神様は全ての人の名を呼んでいます。あなたを愛している神様の声です。
 第2に、神様は泊まって下さいます。「私はあなたと一緒だ」と言って下さるのです。聖霊の内住です。
 第3に神様は、私たちをアブラハムの子として活かし、用いられます。置かれた場所が祝福の拠点となり、周りを活かし喜びを広げる存在とされます。
                 (要約:田内博)

 
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