サムエル記U 17章

「優れた悪巧みをも打ち壊す神」  
    

1〜4節

アヒトフェルの助言は、神の言葉のようにさえ思われるほどいつも知恵に満ちたものでした(16:23)。
彼は今息子の謀反によりエルサレムを出て、荒野をさすらって疲れて気力を失っているダビデを間髪いれずに攻撃する提案をしました。
しかもその家来たちは攻撃せず、ダビデだけを狙うという内容でした。
この提案は、アブシャロムと全長老たちに受け入れられました。


5〜14節

しかし、アブシャロムは念のためフシャイの意見も聞くことにしました。
本来ならダビデの親友であり、本当に味方なのかも疑わしいはずのフシャイに意見を聞く必要はなかったはずです。
神様の御手が働いて、アブシャロムがフシャイの意見も聞きたくなるように仕向けてくださったのです。
フシャイは、ダビデが戦いなれている戦士であり、今も用心して他の民たちとは違う場所に隠れていることをまず伝えます(8節)。
父のこれまでの戦いぶりを良く知っている息子のアブシャロムは、そのことに納得します。
そしてイスラエル中の戦士を集めて、その先頭にアブシャロムが立って、ダビデとその家来たちをすべて滅ぼすことを提案しました(11〜13節)。
虚栄心の強いアブシャロムは、その提案に心くすぐられます。
そしてアヒトフェルの意見は退けられ、フシャイの意見が採用されました。
これも普通なら考えられないことです。
優れた助言者として信望厚いアヒトフェルの意見が退けられ、敵ダビデと親しかったフシャイの意見が採用されたのです。
それは主なる神様がアヒトフェルのすぐれた計画を打ち壊そうと決めておられたからです(14節)。
ダビデが涙の坂道で「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」と切実に祈った祈りを、神は聞いてくださったのです(15:30〜31)。


15〜22節

アブシャロムがイスラエル中の戦士を集めている間に、フシャイは祭司たちにこの一連の出来事と、荒野で夜を明かさず前進して逃げるように伝えさせます(15〜16節)。
しかしアブシャロムにそのことが密告され、遣わされた祭司の子たちは追われますが、名も知られないバフリムに住む夫妻に助けられ、無事ダビデに伝えることができました(18〜22節)。
そしてダビデはじめ、民たちは夜明けまでに全員ヨルダン川の向こうに行くことができたのです。
ここでも神は、この時のために祭司とその子たちを用い、名も分からない人たちを用いて、ダビデを守られたのです。


23節

アヒトフェルは、自分の意見が採用されなったことを不服に思うと同時に、フシャイの意見ではアブシャロムが勝つ見込みはないと気づいたのでしょう。
アブシャロムが負けたら、裏切り者の自分は、きっとダビデからひどい仕打ちを受けるに違いないと思い、自ら死を選びます。


25〜26節

アブシャロムは、いとこでもあるアマサを軍団長に任命します。
実はダビデが再び王として立つ時には、敵に組したこのアマサを軍団長に選んでいます(19:13)。
また前回ダビデを呪いながら後をついてきたシムイをも、決して復讐することなく赦しています(19:18〜23)。
そのことを考えると、おそらくダビデはアヒトフェルのことも決して罰することなく今までどおり、よき助言者として再び議官に任命したでしょう。
アヒトフェルは決して自害する必要はなかったのです。
なぜダビデは、このように敵についた者たちや自分を呪った者をここまで赦すことができたのでしょうか。
おそらくこの一連の出来事が、全て自分の罪の結果であることを認めていたからでしょう。自分の罪の歩みを思うなら、神に王から退けられるだけでなく、命をとられてもおかしくないとさえ思っていたダビデは、再び王として立たされる時に、ただ神様の赦しの大きさと、あわれみ深さを感謝しないではいられなかったのでしょう。
赦されたものだけが、人を赦すことができます。
あわれみを受けた者だけが、また人にあわれみの心を持つことができるのです。


27〜29節

マハナイムで、3人の人たちがダビデとその一行の旅に必要な物を届けてくれました。荒野の旅でも、常にダビデを助け励ます人たちがいました。
神に愛されている者たちは、このような折にかなった助けと慰めを受けながら、人生の荒野の旅を続けていくのです。
苦しみの中にも、不思議なタイミングで具体的な必要を満たしてくださり、また慰め励ましを与えてくださる神です。


神様は、誰もが認める知者アヒトフェルの助言さえも愚かなものとして打ち壊されました。
そのために、フシャイを用い、すでにエルサレムに帰されていた祭司たちを用い、名も分からない人たちを用いて、ダビデを守りご自身の計画を着々と進めていかれます。
ダビデはそのことも知らず、ただ荒野をさまよっていただけでした。
神様の方でアヒトフェルの助言を打ち砕きダビデを守ってくださっていたのです。
生きている限り、様々な人の悪巧みに翻弄されたち、人間的に優れた人たちの力に引きづられたり、真理が曲げられそうになったりすることがあります。
でも神につくものは大丈夫なのです。
人がどんなに知恵を使って大勢で攻撃してきても、神は揺るぐことなく神の民をあらゆる罠から守り、ご自身のみこころを成し遂げていかれます。
悪魔の悪巧みさえ、もうイエス様の十字架の死と復活で勝利しているから、いたずらに恐れる必要はないのです。
このような神の守りにおかれている私たち一人一人であることを感謝します。



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