「恐れの中で聞く主の御声」   
       T列王記19章1節〜18節


 神はエリヤを用いて、バアルの預言者たちとの戦いに圧倒的勝利をもたらし、またしばらく雨が降らなかったイスラエルの地に大雨を降らせ、神が生きておられることをアハブ王にもイスラエルの民たちにも証明しました。


1〜4節

 アハブ王は妻のイゼベルに、神がエリヤを通してしたことを報告しました。神の偉大な力を目の当たりにしたアハブ王でしたが、それでも偶像崇拝をやめて神に立ち返ろうとはしませんでした。どこまでも自分のやり方を押し通して、決して神に従おうとはしなかったのです。しかし王以上に、妻のイゼベルの方がさらに頑固でした。バアル宣教のためなら、手段を選ばないイゼベルは、エリヤの命を狙うように指示します。

 そのことを聞いたエリヤは、恐れをなしてイスラエル最南端のベエル・シェバに逃げ去り、人のいない荒野に行きました。バアルの預言者たちとの戦いでは、力強い雄姿を見せたエリヤでしたが、イゼベルの言葉を聞いて逃げ惑う弱い姿をここでは露呈しています。しかしこの荒野への逃亡も、エリヤにとっては必要な経験であり、また神ご自身がエリヤを荒野に追いやっておられることが後にわかります。主の預言者たちは、逃亡生活の中で主との深い交わりを体験し、主からの大切な語りかけを聞いているのです。

 大きな戦いをしたエリヤには、休息が必要でした。戦ってばかりでは、疲れ果ててしまいます。その疲れに加えて、命を狙われる恐怖と荒野での不便な生活により、肉体的精神的疲労がピークに達します。人は疲れ果てると、物事を前向きに考えられなくなります。エリヤは、自分のいのちを救うために逃げてきたのに、死を願って主に祈っています。先祖の預言者たちとも比較して、劣等感と自己憐憫に陥ります。

 実は先祖たち(モーセやダビデなど)も、同じような祈りをしているのです(民数記11:14〜15、詩篇55:6〜7)。 神と1対1になれば、このようにどんな祈りもできます。力強く立派な祈りをいつもしなくていいのです。思いっきり主に向かって弱音を吐いてもよいのです(ピリピ4:6〜7)。そのような祈りも主は聞いてくださり、また新しい力を上より注いで次の道を開いてくださるのです。


5〜7節

 神は、「元気になりなさい」と言うだけでなく、肉体に必要な食物も具体的に与えてくださいます(詩篇127:2)。そして、エリヤの逃亡が、神ご自身に触れ、霊的エネルギーを補給してただくための「旅」であることをエリヤは知ることになります。


8節

 モーセがミデヤンに逃亡していた時に、やはりホレブで神に出会い、イスラエルをエジプトから助け出すという使命を受けます。エリヤも、そのことを思いだして、神の臨在を求めて行ったのかもしれません。


9〜14節

 「エリヤよ。ここで何をしているのか」という2回の神からの問いかけは、主の前におけるエリヤ自身のアイデンティティーを確認するためにも大切でした。自分自身が何者であるのか、どのような立場に置かれているのか、そしてこれからどうしていくのかをエリヤ自身が知っていくことになるのです。しかし、この時にはエリヤにその問いに対する答えはなく、自分が熱心に神に仕えてきたのに民たちは主を捨て、自分は一人になり、何の実も結ばず報われることもないという自己憐憫の中にいました。

 そのエリヤに主は、「山の上で主の前に立て」(11節)と命じます。エリヤを主の前に立たせることが、神の側のこの旅の目的でした。あえてエリヤを人のいない荒野に追いやり、他のものに向かわず、一人神の前にしっかり立って神に向き合うようにされたのです。エリヤの居場所は、神の御前であることをはっきり示されたのです。 そこで激しい大風が山々を裂いたり、地震が起き火があり、自然界をも神が支配しておられることを見せられますが、そのような力強い出来事の中ではなく、一通り終わった静寂の中で、主のかすかな声がありました。神に叫ぶだけでなく、このかすかな声をしっかり聴いていくことも大事です。主の前に立ち、主のかすかな御声を聞く中で、人の問題ではなく、自分自身の問題が何であるのかが見えてきます。主は疲れ果てたエリヤを主の前に立たせて、新たな力を注ぎ、次にエリヤが為すべきことを示されます。


15〜18節

 その使命とは、アラムの王ハザエル、イスラエルの王エフー、そしてエリシャに油を注ぐことでした。特にエリヤの後継者であるエリシャを、預言者として育てていく大切な役割がエリヤに与えられていました。そして「私だけが残りました」と孤独を訴えるエリヤに、バアルにひざをかがめなかった7000人の仲間がイスラエルにいることを神は知らせて、エリヤが決して一人ではないという励ましを与えてくださっています。

 逃亡生活さえも、神はエリヤの信仰復興のために用いられます。一人神の前に立たせ、新たな力を注いで、後継者を育てる新しい使命をエリヤに与えます。荒野のような場所で、恐れと不安に囲まれる中で、神は私たちに語りかけておられます。神の臨在に包んでくださり、恐れから解放してくださるのです(ヨシュア1:9)。日常生活の中でも、私たちに語りかけてくださっている、神の御声を聞いていきましょう。神の語りかけが、私たちに勇気を与え、本当になすべきことを見極める知恵を与えるのです。




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